のりさんのブログ

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「ダビデの背後で働かれる神」

「さて、ペリシテ人は全軍をアフェクに集結し、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた。ペリシテ人の領主たちは、百人隊、あるいは千人隊を率いて進み、ダビデとその部下は、アキシュといっしょに、そのあとに続いた。」サムエル記第一29:1~2


サウル王から命を狙われていたダビデは、敵であるペリシテのアキシュのもとに身を寄せ、味方のふりをしながら、アマレク人などを襲って得た略奪品をアキシュに貢いでいました。そのようにアキシュの信頼を得たダビデは、今度は自分の国であるイスラエルと戦うためにペリシテ軍側から出陣する格好となりました。ところが、ペリシテの他の首長たちはダビデを疑っており、ダビデが自分たちと一緒に戦いに出かけることを拒みました。アキシュはその進言を聞き入れて、ダビデをこの戦いから外してペリシテに帰るように指示しました。

この箇所は、イスラエルの次期王となるべきダビデが、同胞であるイスラエル軍と戦わなければならないという危機がおとずれ、その危機に対して偶然かのように、その戦いから外されて危機から脱した場面です。

ここでのダビデは、決して信仰者として正しい方法をとってはいませんでした。敵であるペリシテに仕え、主の民であるイスラエルにも仕えるという二心でした。人間的に見れば、サウルから逃れて行き場を失って、仕方なく敵の中に紛れ込んで助かろうとしたという策略家として賞賛する人もいるでしょう。しかし、自分が助かるために敵に組し、多くの罪のない人々を抹殺して、敵の評価を得ることは、信仰者としてふさわしい態度とはいえません。しかも、その選択によって、自分の同胞と戦う羽目になったことは、ダビデの選びの間違いと言わざるを得ません。ところが、神様は、その中に介入されて、ダビデイスラエルと戦って、これ以上罪を重ねないようにペリシテ側の事情によって、ダビデを救い出されたのです。

私たちも、人生の岐路に立たされるときに、この世の基準でしか考えられずに間違った選択をすることがあるかもしれません。しかし、その中にあっても、神の御手がいつも背後にあることを覚えたいものです。そして、信仰がダウンしてみことばがなかなか入ってこない、また響かないときでも、絶えず祈りの心で神に叫び求めていくことをお勧めします。神は、必ず、その叫びをお聞きになり、私たちの生活に介入され、敵をも用いて事情を整え、助け出してくださるのです。ダビデは間違った選択をしながらも、いつも神に叫び求めていました。それにより、神はダビデの選択を失敗で終わらせずに祝福に向かう方向に導いてくださいました。あなたも、神に叫び求め続けるなら、神の確かな御手によって救い出されるのです。


「わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。不法を行なう者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください。」詩篇59:1~2