のりさんのブログ

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◎ホセア3章「背いた妻への本当の愛」


  神様はイスラエルへの愛の大きさと、それに対する裏切られた悲しみを預言 者ホセアの実生活を用いて示されました。それは娼婦であったゴメルを娶って 愛し子をもうけること。それは愛する価値のないものに思える存在になってし まったにもかかわらず主はイスラエルを愛し続けておられることを表していま した。
  ここで私たちは、神様との関係が結婚関係にたとえられることで、神様の痛 みに近づくことができるからです。それは愛すれば愛するほど、その痛みが大 きいことは昨日までのお話でよくわかりました。神様は私たちにとって、どん な方法が一番神様の痛みとしてわかるか本当によくご存じであることがわかり ました。今日の3章もまたその続きとなります。


1. 再び愛せ。

  神様は、ホセアに告げます。再び行ってゴメルを愛せよと。しかも、彼女は
またも他の男のところに行って姦淫を犯している。「夫に愛されていながら貫
通している女を愛せよ」と書いてありますが、ここの訳は「彼女の男によって
愛されている女を愛しなさいとも訳せるそうです。新改訳で夫と訳されている
ֵ ֖ר עレア はBDBではパラモア(姦夫)と解釈されており、英語訳のほとん どは夫ではなく、他の男の意味で訳しているものが多いです。日本語訳では新 改訳と新共同訳は夫と訳していますが、口語訳やフランシスコ会訳では姦夫、 情夫と訳されています。 私も夫というよりは他の男と見る方が自然かなと思います。なぜかと言うと、 夫に愛されている女を愛せよという言葉の意味が重複しているからです。やは り、ここはホセアにとっても大変赦し難い場面であるわけですから、他の男の ものになってしまった妻を再び愛するということがここで示された神様のお気 持ちにもっとも近づくのではないでしょうか。 ホセアはここで銀15シェケルと大麦1ホメル半で彼女を買い取りました。

  別な言い方をすると贖ったということもできます。ある注解では大麦1ホメル半と は銀15シェケルと同じ価値だということで、合わせれば30シェケルを支払った ということになります。30シェケルは奴隷一人分の値段だと出エジプト記21: 32に書いてあります。同時にイエス様がユダに売られた値段でもあります。


2. しかし、夫婦関係を差し控える。

  このようにせっかく連れ戻した妻をホセアはどうしたでしょうか。三つの 命
令を伝えています。一つはこれからは長く家にとどまって外へ出るな。二つ目
は姦淫をするな。三つ目は夫婦の関係も絶つということです。なぜか、それが
ゴメルにとっての悔い改めにつながることだからです。だからゴメルもつらい
かも知れないがホセアだってつらい。3節のところも「ほかの男と通じだり」だ
と姦淫と意味がかぶるし、原文では「ほかの」にあたる言葉がないので、これ
は翻訳上の補足だと思います。別な個所では嫁ぐと訳されている とい う言葉なので、夫婦の関係も絶つことを意味していると捉えることができるの です。(新聖書注解、講解)


3. おののきつつ恵みに来る

  なぜならば、4節にあるようにそれが捕囚となって神殿礼拝ができない状態。
律法に従って神様と交わることができない状態を表していることだからです。 イスラエルが偶像礼拝をやめないこと。これは南ユダも含めての預言でしょう。 それがアッシリアによる北イスラエル滅亡であり、バビロンによる南ユダ滅亡。 そしてバビロン捕囚だからです。 しかし、今日の個所はイスラエルの偶像礼拝の罪を責めて滅亡させるという さばきのメッセージではありません。あくまで赦し難い罪を犯し続けているイ スラエルをどれだけ神様は愛しておられるか。その愛するものを取り戻すため にどれほどの犠牲を神様は支払ったのか。しかも、最後に彼らの王ダビデを尋 ね求めと、ダビデと交わされた恵みの契約を求めよと言っている。これはまさ にキリストを指し示す赦しと恵みのメッセージです。 ホセアにとって30シェケルは大金でした。持っていた銀では足らずに、食料 も売ってゴメルを買い戻したのです。

 

  このホセアはまさにその名の通り。イエ ス様のタイプです。 イエス様は、私たちの罪を贖うためご自分のいのちを銀貨30枚で売られたの です。しかも、それがわかっていてもなお、罪を犯し続けてしまうゴメルのよ うな私がいる。ここに悲しみを覚えます。しかし、だからこそ、この大きな恵 みの前におののきながら近づいているのです。誰一人自分を誇って十字架に近 づくことはできない。ただただ、十字架の前にひれ伏すのみです。 今日も、この恵みの中に入れられた者としておののきつつ歩みたいと思いま す。
ְל ִ֑אישׁ