聖書
「イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」マタイの福音書16章15~18節
「それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。」ルカの福音書24章27節
序論
教会は1世紀終わり頃には信者数が増えすぎて家の教会では狭くなり、信者が所有する大きな建物を集会所として使用するようになったことに伴い教会組織を整え、教会生活も秩序立てられていった。19世紀に発見された、この頃の教会規則を記したものに「ディダケー」(十二使徒の教訓)というものがあった。これによると日曜日ごとの礼拝と聖餐式、水曜日と金曜日の断食、毎日三回の「主の祈り」等が義務付けられていたことがわかる。そのように教会組織が整っていくと平行して「信仰の規準」も形成されていった。2世紀中旬頃には「ローマ信条」と呼ばれるものが確立し、やがて「使徒信条」となって今日に至る。その成立の背景には多くの異端が各地に誕生してきていた。
1.信条・信仰告白とは何か。
キリスト教において信仰告白は、聖書を起源とし教会の神学的・知的熟慮と反省の結果[1]、歴史の中で教会によって公に定められたキリスト教信仰の知的表現である。
キリスト教神学における伝統的な用語としては、宗教改革以降プロテスタント教会が自らの信仰を明白なことばをもって成文化したものを信仰告白と言い、古代教会における公同信条[2]とは区別されるが[3]、信仰告白も信条も広義においては「信仰告白」である。信仰告白は、信仰を神と人と[4]に告白すること、また表現した文書を指す。
(1)信 条
①「私は信じる」と繰り返すように信条の基本型は信仰告白であり、古代教会において洗礼のときに、神と人との間での契約のしるしとして用いられた。
②クリスチャンを他と区別するしるしであり、異端[5]に対しての正統性を明確にするためにつくられた。
(2)信仰告白
①もともとは古代教会において殉教者たちが行った告白がやがて教会としての断固とした信仰の告白を意味するようになった。
②宗教改革以降は、他教派(特にカトリック)に対する自教派の教理を表明するためにつくられた。[6]
③現在、多くのプロテスタント諸教派、諸教会で独自の信仰告白を持っているが、他教派との違いを明確にするというよりは、むしろ他教派であっても同じ信仰に立つ教会間の一致と宣教協力のための客観的基準として不可欠となっている。
2.どうして「信仰告白」が必要か。
(1)人間が知的な存在であるため信仰も明確に記述され理解されることが大事。
知・情・意をもって神を愛する(知る)ために、知的な理解を抜きにして神との関係を持つことは困難。
(2)教会は信仰を告白する共同体
①教会は個人的に信じた者の集まりであると同時に、共同体として信じる性格を持つ。そのためには何を信じているのかの共通性が必要。
②聖書の信仰とは、漠然とした曖昧な神秘的感情や満足感や悟りの境地というものではない。教会とはルターの生涯に見るように「われここに立つ」と、はっきり自己の信仰と信念を告白、表明する者である。[7]
3.特徴
(1)歴史性
①信条は歴史の中で形成されてきた。
・迫害、異端、宗教改革⇒歴史的背景を無視できない。
②一つの信条が定まると、その信条が規範となり歴史を動かしていく。
・歴史の中で厳しい吟味にあう。⇒教会が通ってきた道を他人事にしない。[8]
③新約聖書に既に信条の原型がある。[9]
(2)公同性
①信条は、一つの教派によって生み出されたのではなく、多くの教会の代表が集められ、公同的な過程によって生み出されてきた。⇒教会会議[10]
4.役割
(1)礼拝における告白として
①告白は礼拝である。現在、この意義を忘れ、告白をしていない教会が多くなり、使徒信条すら知らない信徒が増えている。
②告白は、内面にあるものを言葉によって外側に表現し、神に全人格をささげること。
③告白は賛美である。神の偉大さ、素晴らしさ、その真実を告白することは、信仰の内容を神に表し、世に証しすることである。
(2)説教における助け
①説教のガイド、説教の内容そのもの。聖書教理の中心を言い表したもの。
②説教で、教会として間違った教えをしていないかの確認。
(3)礼典
①バプテスマのときに用いられた。使徒8:37等
②2~3世紀の文書では3つの告白をし、3度水に浸されていた。
③聖餐式では5世紀後半に信仰告白が用いられていた記録がある。
(4)教育
①受洗者を教えるための役割は重要。
②信徒教育のために、カテキズム(信仰問答)。使徒信条、十戒、主の祈りについての解説。
(5)聖書解釈
①確定された信条ができると、聖書解釈のガイドになっていく。
②信仰・真理の中心と周辺の区別。矛盾に見える箇所の調和。
(6)異端との闘い
①異端との闘いの中で必要とされ発展してきた。(単純なもの→複雑なものへ)
②経験を過度に重視して、熱狂主義に陥ったり、聖書の類比の原則を忘れて、聖書のある特定のテキストだけを一方的あるいは一面的に強調する「一節主義」に走って主観主義に陥る例は少なくない。信条は、自分自身の、そして教会の信仰と生活が、公同の教会の信仰と生活に立っているかどうかをチェック・確認するための指針であり、正統と異端を区別するための道標でもある。[11]
5.現代と「信仰告白」《ポストモダンの時代》個人主義・価値観の多様化にある問題
(1)現代は新しい「信仰告白」を必要としている時代[12]
①宗教多元主義、世俗性、国家との関係
②キリスト教が幅広すぎて新しく生み出せない状況にある。
(2)告白する教会の形骸化
①礼拝における「信仰告白」の形式化。
⇒「聖書」、「使徒信条」があればよい。
②教会自体が「信仰告白」を曖昧にしている。
⇒教会が「信仰告白」による教育をしているか。
③「信仰告白」の単純化、簡易化。
⇒交わりを中心とした教派・グループの広がり。
⇒包括主義化→多元主義化[13]
脚注
[1] 曽根暁彦「教会史入門」日本キリスト教団出版局、2003年、p.24~25
[2] 使徒信条、ニカイア信条、カルケドン信条、アタナシオス信条
[3] 丸山忠孝「信仰の告白・新キリスト教辞典」(いのちのことば社,1991年)p.623
[4] コロサイ3:16
[5] 初代教会時代から、グノーシス主義が勢力を持っていた。「グノーシス主義」は、宗教というよりは、一種の思想運動。紀元1世紀から2世紀にかけて盛んになり、3世紀には衰微していき、その内容は多様。主に以下のように整理できる。
(1)グノーシスとは、「知識」、「認識」などを意味するギリシヤ語。グノーシス主義は、人間はある「霊知」(グノーシス)を持つことによって救済されると教えた。その「霊知」をもたらすのがキリストだという。(2)グノーシス主義は、徹底した霊肉二元論の立場を取った。そして、霊は純粋で神秘なもの、肉(物質)は罪悪性を持ち堕落したものであるとた。このような立場に立つグノーシス主義は、聖書の創造論とは真っ向からぶつかるものであった。グノーシス主義によれば、世界を創造したのは絶対者としての神ではなく、より下級の造物者であり、そのため物質界は罪悪性を持っているとされた。また、人間が罪ある者である理由は、肉体を持っているからであるとも教えた。(3)当然の帰結として、グノーシス主義は、聖書の重要な教理をいくつも否定することになった。絶対者である唯一の神が万物の創造者であるという教理の否定、イエス・キリストは受肉した神の御子であるという教理の否定、人間は恵みと信仰によって救われるという教理の否定。(4)グノーシス主義は、肉体のみを罪悪視したため、内面にある罪の問題を考えることができなかった。その教えは、禁欲的、戒律的なものとなると同時に、霊の神秘性を強調したために密儀宗教の性質を持つようにもなった。これは、福音とは全く異質の教えである。⇒中川健一
[6] 宗教改革当時は、「ローマ教皇の法規によって治められている諸教会は、キリスト者の 教会というよりはむしろ悪魔の教会である」と言わしめるほどローマ・カトリックに対して大きく反発する傾向にあった。⇒カルヴァン『信仰の手引き』新教出版社,1999年
[7] 宇田進「総説・現代福音主義神学」(いのちのことば社,2002年)p.105
[8] 歴史神学を正しく学ばなければ、たんに独善的・排他的な教派主義にしかならない。自教派だけでなくキリストのからだなる教会の一員として歴史を捉え、学び、常に教会としても罪への悔い改めから始まる聖化を目指すことが重要である。
[9] ローマ10:8~10、Ⅰコリント15:3~5、ピリピ2:5~11、Ⅰテモテ3:16、Ⅱテモテ2:11~13、Ⅰペテロ2:21~25、Ⅰヨハネ2:12~14、4:7~10等
[10] 全教会が認めている教会会議は以下の通り。第1ニカイア公会議 (325) · 第1コンスタンティノポリス公会議 (381) · エフェソス公会議 (431) · カルケドン公会議 (451) ·第2コンスタンティノポリス公会議 (553) · 第3コンスタンティノポリス公会議 (680–81) · 第2ニカイア公会議 (787)
[11] 前傾書p.105
[12] 聖書の権威よりも人間の価値観の多様化に伴って、その多様性を基準にした信仰が求められている。その傾向に準じた信仰告白か、むしろ聖書を規範とした信仰告白かが問われている時代という意味。
[13] 個人主義が台頭し、個人の基準による価値観を許容する中で、聖書で言う救いが他宗教をも包括するという解釈や、キリスト教も他宗教も同等であり、どれかを信仰していれば救われるという解釈が生まれている。第二バチカン公会議以降、ローマ・カトリックも宗教包括主義の立場を取るようになり、当初はプロテスタントの受け入れが中心テーマであったが、他宗教をも含む包括化へと進んでいった。