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組織神学序説ノート

 ニカイア・コンスタンティノポリス信条⇒キリスト論に重きを置いて告白するもの。信仰告白によって、キリスト教会の歴史がわかる。その信仰理解の中で、もっと豊かに神を知ることができる。
 
①    自分が信じる神についてどのようなイメージを持っているか。
現在、私の神に対するイメージは、私を待ち、捜し、見つけ出して下さる放蕩息子の父親のような姿である。愛し、赦す方としてのイメージが強い。
しかし、神学を学ぶことで、神とはどんな方かを多面的に、組織的に知っていく中で、そのイメージ、理解が深められると思う。
 
②    「神学校は、勉強ばかりするのではなく、もっと実践的なことをするべきだ」という意見について、どのように考えるか。
神学の必要性⇒現実と直結している。神学を学ぶことにより、感情だけで判断する危険を回避できる。出来事に対し、問題点を整理し、仕分けをして冷静に対処することができるようになる。
 
③    神学することは、私たちの教会生活、信仰生活にどう生きるか。
例)たとえば、人間関係においてトラブルを抱えた時…
人間のことば一つ、所作一つにも、それぞれの固有の性質、文化、教養、家庭背景など、複雑に影響を与えている。だから、一つのことば、一つの所作が、同じ意味を持っているとは限らない。
「真実とは何か」と言う理解を持つ。・・・自分が確信している真実が真実なのか。
 
例)太陽と月は私たちの視覚には同じ大きさに映る。・・・しかし真実は、実際の恒星としての太陽は地球よりも直径において100倍以上、月においては地球の1/4である。
 
∴神学するということ⇒自分の主張する「真実」から目を離して、神の「真実」に近づけられていくという一面であるから、神学することが、私たちの現実の信仰生活に生かされないはずがない。
 
④    なぜ、神学するのは専門家のすることで、信仰生活は信じるだけで十分だと言う考えがあるのか。
現代の私たちは次のように二元論的に分けて考える習慣になっている。
A・・・学ぶ、知る(知性)    B・・・信じる、愛する(霊性
18世紀から19世紀にかけて、知性と霊性を別々のものと考える近代哲学の流れの影響を受けた。
 
*インマヌエル・カント
a「純粋理性批判」では、神と言う超越者を理論的に認識することは不可能である。
b「実践理性批判」では、しかし、宗教、神と言う存在を考えることは、私たちの生活の中で、道徳的な機能を果たす。
 
こうして、知性では霊性を養うことができないという大きな思想の流れが生まれた。
 
近代の流れ(18世紀~19世紀)
A近代科学が急速に発達・・・始まりは16世紀から、ガリレオニュートンラボアジエ
B私たちの生活そのものが物理的に科学の恩恵に浴するようになった。
C科学は理性的なもの、宗教は非理性的なものと、対立的に考えられるようになった。
Dそのような時代の中で、理性と道徳だけは確かなもの、普遍性のあるものと考えられるようになった。
 
*フリードリッヒ・シュライエルマッハー(自由主義神学の祖)
A宗教は根本的に教養や倫理を中心として考えるべきでない。
B宗教は一般的な感情か、絶対依存の感情に関する事柄である。
 
理性のみで聖書を分析することによって、理性に反するものを事実ではないと解釈し(たとえばキリストの復活は事実ではなくても各人の心の内に希望がもたらされたことと解釈)、理性とは別次元の感情的な助けとしての実存的なキリスト教を生み出す。
           ↓
20世紀の宗教全体に大きな影響
 
※ゆえに、下記のように二元論的に分けて考える習慣を私たちは身につけてしまった。
A・・・学ぶ、知る(知性)    B・・・信じる、愛する(霊性
 
しかし、聖書は何と言っているか。
A創世記4:1「知った」から考える。
⇒「知る」:愛し合う。肉体の関係。結合。体験的に知ること。夫婦の関係。
☞人格的な関係において「知る」とは?極めて親しい信頼関係になることを意味する。
 
Bヨハネ福音書に見られる「知る」と「信じる」の関係
 ヨハネ1:10~13:受け入れる~知る~信じる。
 ヨハネ15:15:主は私たちを「友」として親しみをもってくださることで「知る」ものとならせてくださった。
 ヨハネ15:29~30:信じる~知る…の繰り返し。
 
※また「知る」ことが、人格的な愛の交わりに入れられることも示す。
 ヨハネ17:25,26:「知る」「わたしが彼らの中にいるためです」
=「愛する」、「愛」=「知」=「体験」
 
◎「知っている」⇒様々な使い方があり、広がりがある。理性だけの世界ではない。
 神を知り、体験していくために神学を学ぶ。知り方の量が愛し方に大きな影響を与える。
 
∴知ること、学ぶことは、信じること、愛することと繋がって一つである。
 それを理解して行くことが、神学するということである。
 
2015/4/23 「原則・根本・原理を識別できるようになる」
 
聖書から導き出されるもの、クリスチャンが土台として共有できること、それを理解すること、識別することが神学すること。
 
原理・原則が見出され、理解されていないと、この世で仕えていくことが困難になる。
 
①    プラトン主義、マルクス主義に見られる、○○主義者とは何を理解する人か。
A.    それぞれの名の権威に信奉するだけであり、その人たちに権威があるわけではない。
 
②    上記の○○主義について考えるときでは、キリスト教は何を理解する人と言うことになるか。
A.    キリストの教えを理解し、それに従おうとする人。権威はキリストにある。
 
「イエスが神の御子だと信じる人は、それによって、他の多くのことを受け入れていることになる。すなわち、キリスト教においてのみ見出される神観、人間観、罪観、贖罪観、創造と歴史における神の目的についての見方、人間の運命についての見方を受け入れているのである。」ジェイムズ・オア(1834~1913)スコットランド神学者
 
知的な営みは霊的な営みに繋がっている。そして、知的な営みが霊的な成長、クリスチャンの成熟に深く関係している。
 
4/30 組織神学者エリクソンが挙げる、神学がどう研究されなければならないのか。
 
①    神学は聖書的でなければならない。
 正典としての旧・新約聖書に基づいての研究
          ↓
揺るがされることがある⇒周囲に合わせる人
  ※学問は理念に基づいた理想を語ることが使命
   ●現実と分離してはならない
   ●聖書で語られなければならない
   ●学問した人こそ社会で果たす役割・責任がある
   ●実行していないことを恐れて語ることをやめてはならない。
   ●語り続けることが重要な使命
 
 矢内原忠雄⇒学者として目指す国家を語る
 「理想の大学は私を必要としているが、現実の大学は私を排除する」
   ●ことばの表現を越えるところの真実を見抜く力が養われる
   ●時代を見抜く力を身につけなければならない。
           ↓
学ぶことによって、理想を語ることが必要
 
②    神学は組織的でなければならない。
聖書を断片的に別々のものとして解釈するのではなく、多様な教えを全体として調和のとれたまとまったものとして理解していかなければならない。
●聖書は執筆背景を知り文脈の中で捉える
●整理されていない知識は使えず、目的のために機能させられない
●神の御心に従うのでなければ意味がない
 
③    神学は、私たちの文化や様々な他の学問にも関係づけて理解できるようになることが大切
●牧師は雑学が必要だ
●教養を積むことが大切
●どんな人に対しても相手に共感することができる
       ↓
人間関係の中でCommon ground(共通の土台)を見出すことにもなる。
 
◎相手との共通点を発見する努力をする(しかし相手に迎合する必要はない)
 
④    神学は今日的な問題に答えなければならない
●時代を越えて聖書が語っていることを答えることができなければならない。
●同性愛問題、中絶問題等
         ↓
 ○pro-life:中絶反対の立場
  ○pro-abortion:場合によって容認
  ○pro-choice:母親の選択に任せる⇒アメリカクリスチャンに多い立場
  ●胎児のいのちはだれのものか⇒本質を知り、聖書に基づいて考えなければならない
  
不妊治療についての考察…例)人口受精(他人の精子卵子の場合)
⇒科学の領域も神の御業として積極的に取り入れることは正しい考え方か?
 
∴聖書から神学する。いのちは神の領域。
 
⑤    神学は実践に繋がっていかなければならない⇒礼拝・奉仕・伝道のすべての土台が神学。
◎教会に現されていく信仰者の選択、決断に、この世の思想の影響がないか識別するのも神学。
 ●信仰の部屋を整理する
 ●その上で相応しく取り出して使うことができる
  ○資本主義社会は功利主義によって影響を受けている
   ◆最大多数の最大幸福
   ◆小数を切り捨てる
   ◆多数決の原理⇒多数派が常に正しいわけではない
 
∴少数・弱者にされている方々のためにクリスチャンはどうするか?⇒戦うことこそ聖書の愛
 
識別する⇒神学を学んだ者の責任。教会でも多数決がすべて正しいわけではないので、どんな問題をどんな方法で決議するか識別することを求められる。
             ↓
牧師の判断力は神学によるものでなければならない。個人の感覚や性格、性質ではない。
 
例)ニカイア信条においてのアタナシウス派とアレイオス派の議論
 一文字違いの、しかし、教会のいのちに関わる議論
 教会には、いつでもこの世から「似て非なるもの」が持ち込まれる危険性がある。
 
 神学は、地域教会の教会形成の基準。
 聖書と異なる基準を持ち込んだ時に、教会にどんなことが起こるか?
⇒例)キリストは神か?人か?  

ホモ・ウーシオス:子は父と同質
ホモ・イ・ウーシオス:子は父に似た存在(最高の被造物)
 
○福音を守るためには、神学を学ぶ必要がある。
○教会を守るためには、必要な戦い、争いがある。
 
【神学に対する態度】
○いつも傲慢がつきまとう。・・・仕えるために学んでいることを忘れてはならない。
箴言1:7「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」
ピリピ1:9~10「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。」
 
 信仰・・・アウグスティヌス:「私は信じることによって理解することができる」
 謙遜・・・カール・バルト:「神については、私たちは常に初心者である」
 従順・・・カルヴァン:「神についての正しい知識は従順の姿勢から生まれる」
 祈り・・・ルター:「神にこう祈りなさい。神が御子を通してあなたに聖霊を与えてくださるように、聖霊があなたを照らし、導き、理解を与えてくださるように」
                                    (蔡師による整理)
 ※霊性は学びなくしては育たないし、霊性がなくては学べない。
 
 エペソ3:17~19:「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」
4:15~18:「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。」
 
 ◎真の知識は愛に向かう。真の愛は謙遜に知識に耳を傾ける。
○愛を知らないなら、その苦労を聞いても意味がない。
○愛のない真理はない。
○本当の愛は知識を切り捨てない。
○本当の愛は感情的・感覚的にならない。
 
信じること、愛すること、知ること、学ぶこと
それらが統合した一つの世界として私たちの中に育っていくために神学する。
そして、ウエストミンスター教理問答の第一項にある生きる目的即ち神に栄光を!は、神学の目的でもある。
※聖書によって構築しなおす。