"契約の箱が出発するときには、モーセはこう言った。
「主よ、立ち上がってください。あなたの敵が散らされ、あなたを憎む者が、御前から逃げ去りますように。」
またそれがとどまるときには、彼は言った。
「主よ、お帰りください。イスラエルの幾千幾万もの民のもとに。」"
民数記 10章35~36節
契約の箱は、神の臨在を現すシンボルでした。その箱を手がかりにイスラエルの民は、主がともにおられることを実感できたのです。でも、それだけではありません。主の臨在が事実であることを、指導者モーセは祈り求め、主が立ち上がって敵を散らすように願ったのです。
そして、その契約の箱が留まるときには、神もまた民の中にあって、民と一つとなってくださることを求めたのです。
私たちの信仰も目には見えない部分と見える部分があります。それは、いつも一つでなければなりません。
そのことを神はイスラエル民を通して予め教えているのです。神の臨在を視聴覚教材によって示して、その信仰がなくならないように助けていたのです。
私たちも、見えないものを見えるようにして生きることが求められています。今日も、その見えない方を見えるようにして仕えてまいりましょう。