のりさんのブログ

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宗教改革の先駆者ヤン・フス

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 ヤン・フス(1369頃~1415)は南ボヘミアの貧しい農民の子として生まれ、幼い頃から意志が強く、努力して12歳でプラハ大学に学んで学位を得、プラハ大学の教授となり、司祭に叙せられプラハの説教者として名を高めた。後にプラハ大学の総長に任ぜられた。
 彼はウィクリフの著作を読んで強くその影響を受け、改革精神に燃えて贖宥符を非難し、教会と聖職者たちの堕落を攻撃して教会を負われることになる。
 しかし、信念を貫いて、1413年にはその所信を「教会論」という大著に示して世に問うた。この書物は後にプロテスタントの教会論の基調となったもので、教会はキリストを救い主と信ずる者の結合体であり、そのかしらはキリストである限り、教皇の存在は有害無益であると論じたため、1414年にコンスタンツ公会議に召喚された。
 その際、神聖ローマ皇帝ジギスムントの発行した通行許可証を携行し、教会側からも逮捕しないと約束されていたにも関わらず逮捕されてしまった。逮捕した教会の言い分は「約束はしたが守るとは言っていない」というものであった。
 フスは公判で、教会に対し「聖書に照らして自分が間違えていることが証明されるならば喜んで認める」と答えるが教会には響かず、異端の宣告を受けた。しかし、断固として信念の取り消しを拒み、翌年火刑に処せられた。

 当時、スラヴ系のチェック人の多いボヘミアは、神聖ローマ帝国支配下にあって愛国運動がさかんであったが、フスの火刑はその愛国運動を刺激して、フスの思想を受け継いだ。いわゆるフス派の指導者ヤン・ジシュカ(1370頃~1424)を中心に、プラハ南方のタボル山に要塞を設けて立てこもり、頑強に武力抵抗し20年間にわたってフス戦争を展開した。フス派の人々の中から15世紀中ごろ「ボヘミア兄弟団」と呼ばれる一派が誕生した。現在「モラヴィア兄弟団」と呼ばれるプロテスタントはこの流れをくむものである。