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スコラ哲学


 「スコラ」というのは中世のはじめ、カール大帝によって創設された宮廷学校に対する呼び名から来ているもので、この学問は狭義には中世カトリック教会の教義を合理的に一つの体系にしようとしたものでその根本は理性と信仰との調和であった。この学問の揺籃ようらんとなった諸大学はほとんどフランチェスコ修道会とドミニコ修道会の権威のもとに研究がすすめられたもので、ボローニア、パリ、オックスフォード、ケンブリッジなどの大学はその代表的なものであった。
 スコラ哲学を体系づけた初期の学者はイタリア生まれで、カンタベリー大司教となったアンセルムス(1033~1109)であった。彼は「神は何故人となったか」という書物を著しているが、「知るために信ずる」ということが彼の中心的な考えで、それはアウグスティヌスの立場と本質的に同じであった。
 彼と反対に「信ずるために知る」という立場をとったのはフランスのアベラルドゥス(1072~1142)で、それは疑うことは探求することであり、探求することによって真理に達することができるという信念に立っている。


 スコラ哲学の大成者はトマス・アクィナス(1224~1274)であった。彼は1226年頃イタリアの貴族の子として生まれ、1244年ドミニコ修道会に入り、そこでアリストテレスの哲学に触れ、パリでスコラ哲学者アルベルトゥス・マグヌス(1193/200~1280)の教えを受け1269年からドミニコ修道会大学院神学科の教授となり、この頃から著作をすすめるとともにイタリア諸大学から講義に招かれ、スコラ哲学の普及発展に大きく貢献した。
 彼の主著「神学大全」(1266~1267)こそトマス・アクィナスの名を永遠なものとした。それはまさにスコラ哲学の金字塔であった。これまでアウグスティヌスの影響によってプラトン的表現をもったキリスト教の教義にアリストテレスの思想を見事に結合させた体系である。神認識はすべての自然的認識に優先するとし、神のみがすべての初めであり、真理そのものであり、キリストを通しての啓示こそ思惟の出発点であって哲学は神学の婢僕であった。
 トマス・アクィナスのあとスコラ神学は衰退したが、いわば、その反動として起こったものがドイツを中心とした「神秘主義」である。これもやはりドミニコ修道会フランチェスコ修道会を基盤とするものであった。神秘主義にはさまざまな考えがあって、複雑ではあるが、概して言えば体験によって神と合一するという立場に立つものであった。


 ドイツ神秘主義のもとを開いたのはドミニコ修道会のヨハンネス・エックハルト(1260~1327)で彼によればすべてのものは神の中に神と共にあり、人間の心に神の力が働いている限り神的な精神があると考えた。少し遅れて、ヨハンネス・タウラー(1300頃~1361)が現れた。彼もドミニコ修道会の修道士としてエックハルトの感化を受け、やはり神が人間の心に内在すると説いたが、その教えは実際的で、人間の罪に対する神の恩寵と悔い改めの信仰を強調し、シュトラスブルクの説教者として知られた。


 更に遅れてオランダにトマス・ケンピス(1380~1471)が出た。彼はアウグスティヌス修道会の修道士として生涯を修道院に過ごし、そこで有名な「キリストに倣いて」を書いたと言われる。しかし近年の研究では彼が書いたという説に多くの疑問が出てきたが、この書物は信仰生活の倫理に対する具体的な指針として永遠不滅の価値を持つものである。その基調となるものはキリストとの霊的な交わりである。


 なお、ドイツ神秘主義の代表的な書物として「ドイツ神学」がある。著者は不明であるが14世紀の終わりころに書かれたらしく、マルティン・ルターによって最初に原稿の断片が発見され、その後、完全な写本が発見された。この書物の神秘思想の特色は人間の深い罪にあり、ルターはこの書物から大きな影響を受けた。