のりさんのブログ

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今年、最初の「キリスト教会史」講義

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 本日は今年初めてのキリスト教会史の授業がありました。北海道聖書学院の三学期は、昨年の11月後半から始まり冬休みを挟んで続きとなります。

 それで新春最初のキリスト教会史の講義は三学期としては第三回目で「5.近世封建制初期日本のキリシタン群像」からでした。

 

 私のキリスト教会史の講義では、世界史的な教会史だけでなく、三学期に日本のキリシタン時代の講義を2コマ含みます。

 歴史の学びは、よそ様の歴史ほど眠くなる可能性がありますので、なるべく自分に繋がる学びであることを心がけて、日本教会史の一部にも触れます。

 ちなみに土曜日に行う日本教会史の講義では、キリシタンからではなく明治維新プロテスタント宣教から始まります。つまり、キリスト教会史のキリシタン時代を学ぶことで、日本教会史に繋がる流れになっています。

 そこで、本日は封建制初期、すなわち室町後半から安土桃山までのキリシタン時代におけるキリシタンになった人物に焦点を当てつつ、現代の私たちにどのように繋がるかを学びました。

 まずはキリシタンになった封建領主代表として高槻城主であった高山右近について。次に当時の知識者層の医師として活躍した曲直瀬堂道三について。そして、一般庶民について。一般庶民で有名人はいないので、イエズス会の宣教師たちがどのように封建領主から一般庶民まで宣教を行ったのか。その取り組みに視点を移して観察しました。

 秀吉、家康とバテレン追放令から禁教令、潜伏キリシタンに至るまでローマ・カトリックの宣教の行き詰まりを覚えつつ、徳川幕府後半から明治維新におけるプロテスタント宣教を準備したと考えられる事件が起こります。

 それは、宣教団体による大掛かりな計画の中での成果、または大伝道者による宣教というよりも、岩松、久吉、音吉という漁師たちの遭難です。彼らは漁に出て遭難して漂流し、外国船に救われ、その船内でドイツ人宣教師ギュツラフに会います。

 そこから、世界最初の日本語訳聖書が生まれるのです。大変、素朴であり粗野でありながら、決して知識人でも武士でもない人たちが、キリシタン後の日本のキリスト教宣教の発端となったことは、宣教の歴史を顧みるときに、そこに神の知恵を見ます。

 一見、貧しく粗く、名もなき人たちを通して宣教の業が進められる。ギュツラフ自身も日本人のために祈り、聖書を翻訳したいと願い、祈っていた中で、漂流民としての音吉たちに出会い、彼自身は日本に来ることはできませんでしたが、医師であり宣教師でもあるアメリカ長老教会のヘボンによって、ギュツラフ訳聖書が日本へと運ばれてくるのです。

 

"ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。"
ローマ人への手紙 11章33節
聖書 新改訳2017