のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

信ずればたすかる

私の家は浄土真宗で、私の祖父はお経を読むことができる人でした。だから、私も浄土真宗の開祖である親鸞には親しみをもっていました。

 

特に親鸞聖人の語録的著書である『歎異抄』では、「本願を信じ、念仏をもうさば仏となる」、あるいは「信ずればたすかる」と言われている、人間の救いについての教えが好きでした。

 

しかし、同時に、子どもの頃から、キリスト教にも興味を持っていました。それは、十字架にかけられたキリストの絵を見てからです。それからは、図書館へ行き「キリスト」の伝記を借りてよく読んでいました。

 

小学5年生のときに、英語を習ったことがありましたが、実はその英語の先生がキリスト教の宣教師だったのです。また、その宣教師が住んでいた家が私の伯父の貸し家でした。

 

今思うと、なぜかいつもキリスト教が身近にあって、神様がそのように導いていたのかなと思います。

 

そして、中学生のときに、自分から教会へ行くようになりました。そのきっかけは、姉が高校の前で配られた教会案内をもらったことです。それを姉は捨てずに家に持って来て私にくれたのです。そもそも、私はキリスト教に興味がありましたから、その内容をよく読みました。そして、その案内には返信用のハガキがついていて、質問に答えて送ると、何と聖書がタダでもらえると書いてありました。

 

私はかねてより聖書が欲しかったので、すぐに送りました。その数日後、その教会の伝道者の方が家にやって来ました。しかし、私は不在でした。ところが、家にいた母が出て聖書を受け取ったのです。しかも、このとき母は、三浦綾子さんの本を読んでいたので、その伝道者の方との話が盛り上がったようで、母の方が先にキリストを信じ洗礼を受けるまで導かれたのでした。

 

私が洗礼を受けたのは、高校3年のときです。それまで、祖父の影響もあり、浄土真宗が好きな子どもでしたが、親鸞が言っていた「信ずればたすかる」とは、実はそれ以前から聖書に書かれていたことであったことがわかり、私の思いは無理なくキリストに結びつきました。

 

聖書にこのような箇所があります。

「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。」ともあります。

聖書が、まことの救いを指し示していた。親鸞も大変惜しいが、信ずべきお方は、聖書が指し示す唯一の神であり、救い主キリストなのだと知り、私は、信じて洗礼を受ける決心しました。

「信ずればたすかる」

まさに、私はそのときからキリストを、信じて助かった者として生かされています。

 今、主イエスを信じることができて、本当に良かったと思っています。神様が私をずっと導き、いつか信じるように待っていてくださったのだと思います。あなたはいかがでしょうか。

 ぜひ、あなたもお近くのキリスト教会へお出かけください。そこから、あなたの人生が豊かにされます。人生の答えが与えられます。心よりお勧めいたします。