のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

◎静内新生キリスト教会訪問レポート                 2022.8.4  佐藤信彦牧師に聴くアイヌへの宣教史メモ

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◎参考資料紹介

・森山諭(日本イエス・キリスト教団)著「戦うコタンの勇者」

 →戦前、アイヌ青年が訪ねて来たところから始まる

 

・梅木孝昭著「江賀寅三遺稿 アイヌ伝道者の生涯」

   ↓

●江賀寅三

 長万部出身 本名シアンレク(本当の叫び)

 虻田で教員になる。1913,新平賀小学校(旧土人学校)

 

 辺泥五郎牧師(鵡川チン教会)との出会い。辺泥五郎はJ.バチェラーによって導かれる。

 回心しバチェラーから受洗。

 

 向井山男?(室蘭)娘ヤエコはバチェラーの養女となる。

 

瀬棚町で伝道中の中田重治と合い、東洋宣教会聖書学院で学ぶ。

聖公会からホーリネス伝道者(福音使)となり旭川へ。

 

樺太を経て姉茶へ(𠮷本先生が詳しい)

ホーリネスから教会支援打ち切り→妻死別→牧師を辞めて長万部役場に勤務。

                        ↓

                  北海道アイヌ協会理事に就任

 

昭和19年?静内へ→再婚(若いアイヌ女性)新生教会に1995年までいた。

司法書士行政書士として働く。

 

再び伝道者へ

 1968年 静内新生教会設立献堂式  町の有志たちからの寄付あり。

教会員はゼロ。OMFとの宣教協力あり。(同年6月死亡。)

 

菊地三郎牧師(ホーリネス系・投獄経験あり)就任

1970年OMFが開拓した静内キリスト教会と合同し「静内新生キリスト教会」へ。

 

佐藤信彦牧師(関西聖書神学校卒・伊達出身)旧伊達藩の厳命に「ウタリとのトラブルを起こすな」あり、伊達市内ではアイヌへの差別はなかった。

 

5つの教会学校、クリスマスには100人出席→町からの児童教育要請があったが後に創価学会等の方々から反対を受け、それ以降、減っていく。

 

アイヌとの関係は、良くも悪くも特別視しないこと。

 

吉田師からの質問

 アイヌの神観からキリストへの回心はどうだったか?

 

バチェラー、向井山男?等の福音理解は不明だが江賀寅三はきよめ派に転向し、聖書信仰であった。聖公会の救済論とは?

 

●今後の究明すべき課題

・バチェラーがアイヌに伝えていた福音とはどのようなものだったか。(聖公会の福音宣教とは?)

アイヌからキリスト者になった人の回心とはどのようなものだったか。

 

文責:川﨑憲久