今日は、広島への原爆記念日です。
広島平和記念公園にて、記念式典が行われました。広島市長、知事、国連事務総長のメッセージは全世界へと伝えられたことでしょう。
それらの方々の中心的なメッセージは、核兵器を無くすために国際社会が努力することではないでしょうか。特に為政者にその責任があることを、どの人も語っていたと思います。
現代の平和が核兵器を所持することによる抑止力による緊張関係のバランスで維持しようとする、張子の虎のような平和です。
しかし、兵器である以上、その均衡の維持が崩れて、いつか、誰かが、ある為政者が核兵器発射ボタンを押してしまう怖さがあります。
そのようなスタイルの平和しか、私たち人間はもはや構築できないのでしょうか。
その構図が、アメリカの銃社会と同じです。重犯罪が増えている昨今、アメリカで売れている銃器は、AR-15系のアサルトライフルだそうです。
それは、アメリカ軍の主力小銃であるM-16から始まるM-4等の自動小銃と同等の銃種です。5.56mというNATO弾使用の扱いやすい銃ですが、重犯罪が増えれば増えるほど、性能の良い銃がよく売れるのです。
それは、犯罪者が使う銃器が拳銃ではなくライフル系が多くなってきている証しでもあります。
犯罪者が持っている武器と同等か、それ以上の武器を持つことで、安心を得て、たとえ相手に使用されても反撃ができるという、強みが生まれます。
アメリカ議会では、銃を無くすよう求める人たちもいれば、既に出回っている銃をそのままにした状態では、銃を捨てるわけにはいかないと言う立場の人たちもいます。核兵器を捨てられない構図とそっくりです。
それがライフル協会と繋がっているとも言われ、各国の核抑止力や軍事バランスの維持が軍需産業を潤していることにも繋がってくる構図です。
今後、核兵器廃絶を考えていくとき、アメリカ銃社会における、銃廃絶から検証していくことが大切ではないかと思います。
確かに国家間の核抑止力とアメリカの銃規制と全く同じではありませんが、互いに良きヒントを探り出せれば、この、地上における平和構築も決して絵に描いた餅になることなく、実行に向かって進んでいけるのでないでしょうか。