のりさんのブログ

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義姉の逝去

先日12月23日(金)の朝、義姉は亡くなった。64歳であった。未婚で、滝川市で一人暮らしであった。

22日(木)の夜10時〜12時まで、私の妻即ち亡くなった義姉の実妹と楽しそうに互いに笑いながらの長電話をしていただけに、その死は本当に驚かされた。

23日の夕方に、私は義弟として義姉が通院している透析のためのクリニックから、義姉がまだ透析に来ていないとの連絡を受けた。

 

私は早速、滝川に住む私の母に電話をして、義姉のアパートへ行ってもらうことにした。同時に病院からの助言を受け、警察へも連絡していただいた。

結果的に、母が義姉のアパートへ行くも車はあれど鍵は開かず。

警察が来てアパートの管理会社に連絡し鍵を開けてもらって、義姉が亡くなっていることが確認されたのである。

風呂の湯槽の中でうつ伏せであったらしい。後日、札幌にある某大学にて検死が行われ、死因が溺水であることがわかった。おそらく多臓器不全を起こし、気を失ってしまって湯槽の中に落ち込んで湯を飲んでしまって肺に入ってしまったことが死に至ったということである。

 

私も妻も、ちょうどクリスマスで奉仕があり、妻の兄も離島に住んでいたため仕事を休むことや、フェリーが欠航するほどの悪天候も重なり、直ぐには滝川へ来ることが困難であった。

 

いずれにしても、義姉の遺体も検死で札幌まで搬送され、それが滝川警察署に戻ってくるまでには相当な日にちが必要であったので、遺族として具体的に動くのは週明けとなった。

 

その間、私もある程度の葬儀の日程を予測して葬儀式次第の作成を行っていた。クリスマス礼拝等のプログラム作りや月報づくりもあって、忙殺されるような数日であった。それが葬儀式次第のミスを見逃してしまう要因であったことは否めない。聖書のことばが正しく記載されていないことが、葬儀で聖書のことばを読むときにわかったのである。

 

しかし、義姉がクリスチャンでなかったにも関わらず私の司式でキリスト教式の葬儀になったのは、生前義姉が私の妻に、もし自分が死ぬようなことになったら、信じてもいない仏教のお坊さんではなく、牧師である私と妻の祈りの中で送ってほしいと言っていたからであった。

 

そのようなことで、昨日28日(水)午前10時に葬儀を行い、無事に火葬まで終えられたことは、ただ神様の恵みである。義兄家族が奇跡的に出航できたフェリーに乗ることができ、天候が守られて私も札幌から高速道路で滝川に来ることができた。

葬儀前後も天候が守られて、例年過酷な冬の悪天候に悩まされる空知であるだけに、全てにおいて神の守りがあったと確信するものである。

 

余談であるが、今回の義姉の死で、二つの新しいものを体験した。

 

一つは新しい滝川警察署庁舎、もう一つは新しい滝川火葬場である。

 

私はこれまで、何度か警察署の遺体安置室に入ったことがあるが、どの警察署も古い建物で、その遺体安置室もかなり狭くて薄汚れた、一見物置小屋のような様相であった。だから滝川警察署もいせんはかなり古かったので、そのようなところを想定していたが、昨年新築したばかりの滝川警察署の遺体安置室は、これまで経験していなかったピカピカであった。

 

遺体を長期安置できるように、冷蔵機能もあると聞いたが、周囲をステンレス素材で囲んだような、メンインブラックに出てくるような、近代的なつくりに驚かされた。

 

また滝川火葬場もしかり。以前は飲み物の自動販売機もなかったのに、今回は新しくなった建物だけでなく、きちんと自動販売機もあって、遺体火葬中に気持ちよく待機できるようなつくりになっていた。以前は滝川市のみで運営していたものを、今回からは四市町村合同運営らしい。

 

それは正解だと思う。これからの地方自治体は消防だけでなく、様々な面で協力して行政を行なっていくことが望ましい。

 

また今回の葬儀は当初、私の母の家で家族葬にするということを考えて始まっていたが、それでは狭くて無理であることがわかり、どこを借りて葬儀ができるのかを模索していたところ、私が高校生のときに洗礼を受けた滝川キリスト福音集会所の厚意で貸していただけることになり、本当に感謝をしている。まさか、そこを出た私が再び、そこで福音を語ることになるとは驚きである。

 

とにかく、義姉の死があり悲しみはあるが、そこに神様の憐れみと守りがあったことを覚えさせられた。葬儀を通して語られた聖書のことばが、それを聞いた一人一人のうちに養われて、神への信仰を持つきっかけとなるように心から願っている。