のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

ラーメン

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先日、深川で会議があり、その帰りの高速道路で昼食をいただきました。

それがこのラーメンです。とても素朴で美味しかったです。900円でした。

 

でも、このくらいのラーメンならちょっと昔は500円くらいで食べられたのに、今では約1000円。つまり2倍になっています。材料費など原価が上がっているので仕方がないのですが、やはり高いなぁと感じてしまう今日この頃です。

現在もこちらのブログをご覧になってくださる方々に感謝いたします。

現在もこちらのブログを見てくださりありがとうございます。

 

お礼に、最近のことを少しシェアさせていただきます

先日、一日だけお休みをいただき、登別市にある知里幸恵記念館へ行ってまいりました。

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知里幸恵をご存知でしょうか。昨年映画にもなりましたが、19歳という若さでこの世を去ったアイヌ神謡集の作者です。彼女はクリスチャンでもありましたので、その足跡を少し知ることができればと、私の先輩牧師であるY先生と一緒に行きました。

 

とても小さな建物ながら、知里幸恵直筆の日記や、幼い頃に書いた習字など、私にとっては有意義な場所であり、楽しいひとときでした。

 

館内を撮影することはできませんでしたが、興味を持っていただけたなら、ぜひ皆さんも足を運んでみてはいかがでしようか。

 

そこを見学したあとは、知里幸恵の墓地に行きました。そこには幸恵の伯母であり養母である金成マツの記念碑もあり、天気も良くて、その地に生まれ、彼らなりに神様からいただいたいのちをどのように生きたのかを感じることができて感慨深いものがありました。

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そのあとは、観光として地獄谷を観に行きました。また大湯沼という強い硫黄の臭いが立ち込めるところにも行きましたが、そこへ行ったのは生まれて初めてです。

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その後は早々に帰路へ向かいました。2時半ころに恵庭へ着きましたが、久しぶりの土砂降りの雨でした。

 

あっ、そうそう。お昼は、美和という食堂であんかけラーメンを食べました。見た目はあんかけ焼そばに見えますが、麺は焼いてませんので、やはりラーメンなのでしょうね。30度超えの暑い日に、扇風機もクーラーもない食堂で食べるにはちょっと不向きでしたが、汗だくで美味しくいただきました。

 

皆さんもぜひ「美和」へ行って、熱いあんかけラーメンにチャレンジしてみてください。

 

いつも、ブログへのご訪問ありがとうございます。

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網走監獄

以前から一度行きたいと思っていた網走監獄へ、とうとう行ってまいりました。

 

敷地が広いので、じっくり観るにはもっと時間がかかるのですが、今回は家族もいたので、そこそこに出てきました。

 

それでも、昔の監獄、つまり刑務所の厳しさ、犯罪者、被告人への扱いの酷さをあらためて知りました。

 

それでも、至る所に、一応は人権を考えている部分を見ると、その時代の中で精一杯のやり方であったのかもしれないと思います。理想は、犯罪者も人権が守られていくことが大切ですが、その時代によって、限界がある現実も見ます。

 

では、現代はどうでしょうか。私たちは最善を尽くして、犯罪者も被害者も、守ろうとしているでしょうか。なかなか難しい問題もあります。殺人などの重要犯罪を行なった者に対して、法律は寛容で良いのか、など、犯罪者を更生させるための刑務所ではなく、やはり刑罰も必要ではないか。そんな声が聞こえているのです。

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黙想:一つの業を終えて

"サムソンは言った。「ろばのあご骨で、山と積み上げた。ろばのあご骨で、千人を打ち殺した。」
こう言い終わると、彼はそのあご骨を投げ捨てた。彼はその場所を、ラマテ・レヒと名づけた。"
士師記 15章16~17節

 

サムソンはろばの顎骨で敵を千人打ったが、そのろばの顎骨をいつまでも握りしめていることなく、それを投げ捨てて、次の働きへ向かう。しかも、その顎骨は捨てたがきちんと「顎骨の高台」と名づけて、その顎骨による神の恵みを忘れなかった。

 

私たちも、次の働きへ向かう時がある。そのとき、サムソンがろばの顎骨を捨てて次の働きへ向かったように、私たちもきちんと、これまでの働きにケリをつけて、投げ捨てるように手放していかなければならない。

 

しかし、ゴミのように投げ捨てて終わりではない。そこで神様が与えてくださった恵みを忘れないで、きちんと祈念することは大切である。

 

さあ、次の働きに向かって進もう。主がともにおられる。

 

"主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」"
申命記 31章8節

黙想:キリストとの交わりの中へ

"神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。"
コリント人への手紙 第一 1章9節

 私たち人間には多くの交わりがあります。交わりということばは、交際とか、交流と言うと分かりやすいかも知れません。

 そうすると、家族や友人知人関係がその対象であったり、ときにペットなどの動物かも知れません。

 

 しかし、その交わりには、時に傷つけられたり、傷つけてしまったりすることがあります。それは、近い存在の家族、夫婦でもよくあることてす。

 なぜ、血のつながりのある家族で分かり合えないのか、どうして愛し合って結婚したのに、本当の意味で愛し合えないのか、多くの人はそこに苦しみを覚えているのではないでしょうか。

 しかし、聖書はそこに解決の光を提供します。それは、決して裏切らず、決して傷つけない、100%依存し委ねて良いお方との交わりにこそ、本当の交わりがあり、その交わりによって、他者との交わりにも平和を与える真実の道です。

 それを計画して与えてくださったのが、唯一真の神です。使徒パウロはその神のことを真実であると言っているように、この世がどんなには不真実でも神こそが真実である、私たちの全てを委ねて良いお方として指し示しています。

 その真実の神が、私たちにイエス・キリストを与えて、このキリストとの交わりに入れてくださったのです。キリストとの交わりとは、もはや交際とか交流ということ以上に「結合」と言えるでしょう。

 それは、このキリストと心身ともに繋がることこそ、私たち罪人すらきよい者として造り変える唯一の手段だからです。なぜなら、このキリストこそ、神の御子だからです。神ご自身であるお方が、神から離れてしまった人間を取り戻すために人間の姿で来てくださった。

 そして、私たちが本来そうなるはずであった神との完全な断絶を通って、神のさばきを身に負われたのです。それが十字架です。

 そのことにより、このキリストを信じる者の罪を赦し、このキリストがそうであるように私たちをも神の子どもとしてくださるのです。だから、私たちとキリストが繋がるのです。

 キリストと繋がることで、私たちはキリストのように、父なる神を心から愛する者へと変えられます。そして、隣人を自分自身のように愛する者へとも変えられて行きます。

 ここに、他者との関係の再構築が起こり、これまで傷つけ、傷つけられてきた関係にキリストにある平和が訪れるのです。そのために、私たちは神を信じキリストを我が救い主と受け入れなければなりません。

 あらためて、今日、神の真実に触れ、神の御子であるイエス・キリストを受け入れて、キリストとの豊かな交わりに入れられてまいりましょう。

主は宮で私の声を聞かれる

私は苦しみの中で主を呼び求めわが神に叫び求めた。主はその宮で私の声を聞かれ御前への叫びは御耳に届いた。
詩篇 18篇6節

私たちは神に祈ります。私たちの声を、叫びを、願いを主に祈ります。その祈りは、どこにおいてもささげることができます。

 

しかし、神はあえて祈る場を設けられました。それは、神との会見の場であり、交わりの場です。その時間、その場所を聖別することの大切さを示しています。

 

かつてイスラエル民族が荒野を旅する時、主は幕屋をつくるようにモーセに命じられました。そして、イスラエル王国が確立して、ダビデを通してソロモンによって神殿が建てられました。

 

それは、神を礼拝するためであり、そこで時間も場所も聖別して、神と交わるためでした。

 

しかし主イエスは、こう言われました。

 

"イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。"
ヨハネ福音書 4章21節

 

それはこれまで限定された場所だけではなく、それぞれのところでも神と交わり、神への祈りをささげられるということです。

 

では、今日、お読みした詩篇はもう無効なのでしょうか。そんなことはありません。やはり、私たちは宮で祈るときに神は聞いてくださるというみことばを今の私たちへのみことばとして受け取る必要があります。

 

それは、やはり神との時間や場所を聖別し、最善を尽くして、その時を設けるという、神への献身が問われているからです。

 

だから主イエスはこうも言われています。

 

"あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。"
マタイの福音書 6章6節

祈る時は、家の奥の自分の部屋に入りなさいとは、神と交わる祈りの場所、時間を聖別することです。

 

ですから、やはり礼拝する日である日曜日は、同じ信仰をもつ仲間とともに教会に集まり、礼拝をささげる。また、日々のディボーションにおいても、私たちなりに、家の中の自分で定めた主と交わる部屋で、決めた時間に神に祈るのです。

 

それは、義務や形式ではありません。なぜ、そう行うのかという理由をきちんと受け取ることが大切です。その理由とは、そうすることによって「御耳」に届くからです。また、そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださるとみことばが約束しているからです。

 

より、主に近づけること。より愛すること。それを今日も求めてまいりましょう。