疲れたと思う時。
それは、何かをやりきった時だったり、
やりきれないことがあった時だったり、
毎日、同じことが、ただ淡々と続くような、エンドレス感を覚える時、疲れたと感じるのではないでしょうか。
主イエスは言われました。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。"
マタイの福音書 11章28節
この言葉はよく未信者に対して使われることが多いです。しかし、主の弟子も疲れるものではないでしょうか。
それは、真実、実は主のもとに重荷をおろしていないからなのか。虚しい想いになるときがあるものです。それは、主の弟子になったと言っても半端だからなのか、それとも重荷を下ろしているつもりだけで、本当は重荷を負ったままだからなのか。
そう考えるときに、やはり自分自身の不足を感じてしまうものです。やはり、自分がしっかりしないと信仰も弱り、自分が立派な信仰者でないと、立ち行かないのだと。
でも、それが信仰なのだろうか。いいや、そうではありません。自分に不足を覚えて、自分でがんばらなければと思うとき、その思いを押し出して、実際に行動に起こさせる意欲や力こそ、聖霊なる主の働きなのです。
私たちのやる気や、実践へのエネルギーとは、私たちの力であると同時に、それこそ主の御力なのです。
だから疲れたらまず主のもとに跪き、疲れたと言いましょう。嫌なヤツがいたら、そのまま主に打ち明けましょう。主は全てご自分に頼る者を蔑ろにはしません。
そのとき、主はあなたをご自身のわざを行うしもべ、また神の子どもとして見て下さるのです。