"次に、偶像に献げた肉についてですが、「私たちはみな知識を持っている」ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。
自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。"
コリント人への手紙 第一 8章1~2節
知ることは大切なことであり、知りたいという欲求も大切な生きることの一つでしょう。
しかし、知ることによって、知らない人を蔑んだり、知っている自分のことを誇っては本末転倒です。
神を知ることは、特に人を高ぶらせているとしたら、それは本当の意味で神を知っていることにならないのです。
神に対する知識を得て自分が神のようになっては神がそれを悲しみます。
確かに神を知ることは知識の初めです。その知識とは神に出会うことであり、神を愛することだからです。
パウロが知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てると言ったとおりです。
バベルの塔もしかり、いつでも、私たちには神のようになろうとする誘惑があります。それがアダムの子孫である証拠ですが、今は第二のアダムであるキリストによって生まれ変わらされたのですから、主のへりくだりのゆえに、私たちも低くされて歩ませていただきましょう。