のりさんのブログ

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「キリスト教の教育についての考察」

 
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18~20)
 キリスト教宣教の中核をなす「教育」において、その原点はやはりイエス大宣教命令にあると考えることができる。イエスご自身が「すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」[1]ように、弟子たちにもそのようにせよと仰せられたのである。
 この「教える」つまり教育というテーマは、この一般社会でも重視されていることは誰も否定しないだろう。しかし、何に基づいて何を教えるかを考えることは大切なことである。そもそも、私たち人間社会の歴史を遡っても、その原点はキリスト教会にあると言っても過言ではない。なぜなら、現代教育学において、その思想や哲学も教会を中心に形作られていったからである。しかし、今日、ポストモダンの時代に突入し、神を抜きにした教育がはびこり、人間の理性や合理的な解釈が先行して、教育本来の意義を失っていると言わざるを得ない。だからこそ、教育の本領を取り戻すためにも、キリスト教教育について再度みことばから確認し、教会におけるぶれない教育の実践に繋げていくためにも、この考察は大変意義深いことである。
 
1.キリストの模範と教育
 教会において、教育の任にあたる者はキリストの権威によってそれを為す。それは、その教える者が、自分の力や知恵や能力に頼んで行うことではなく、キリストご自身の力、知恵によって行うべきであることを言っている。それがキリストの権威によって教えるということである。だから教える者はキリストによって教えられなければならず、教えを受ける者も、その教えにはキリストを知ることが第一の目的であることを忘れてはならない。
 それは、キリストご自身がこの地上において歩まれたその歩みは、まさに神を愛し隣人を愛する歩みであったからである。それは、神の律法を全うした歩みであり、すべての人に神が求めている生き方だからである。だからこそ、キリストはその歩みを通して、この世をどう生きるか。神に造られた者として何のために生きるかという模範になられたのである。
 私たちはその足跡を辿りつつ、キリストご自身に似たものとなることを願い、教えられ、教える歩みを身に着けていきたい。ロイスE・ルバーは言う。
「神のひとり子を、それぞれの特殊な形でその身に表すために、私たちは偉大な造り主によって形造られたのです。」[2]
  ここに教育の基本があると考えられる。キリストはその全人格を表わすために、私たち一人ひとりを必要としておられる。だからこそ、自分自身の欠点や弱点がキリストに取り扱われて、新しくされることを願うのである。それによって、教える者も、教えられる者も相互に、神の真理によって次第に内面生活が統制されていくのである。
 
2.福音伝道と教育
 しかし、私たちがキリストに似せられていくということは、すなわちキリストが罪のないお方であったように、私たちは罪の問題を解決する必要がある。そのためには、福 音伝道との連続性にある教育が不可欠である。
 近代において、日曜学校教育が進み、欧米ではキリスト教家庭を土台にした教会教育が確立されていった。それが日本にも輸入されたが、異教文化の中にある日本では同じカリキュラムは馴染まなかった。それで、常に福音伝道との連続性、または融合の中で教会教育がなされてきた歴史がある。異教社会に住む私たち日本人は、神の概念がGodとは異なる。つまり救いに至るまでの、まず唯一絶対の真の神について学ぶことが必至である。
 これまでの「カミ」から聖書が示す神を知ってようやく、人間とは何かが見えてくる。神の聖なる光に照らされて、私たちは自分の罪が明らかにされていくのである。それまでは、見つからなければ、また考えるだけなら、罪に対して特に後ろめたいこともなかった人が、神を正しく捉えることで、アダムとエバがイチジクの葉で腰に覆いを作ったように、自分の存在そのものに恥を覚え、神の光に痛みを覚えるのである。しかし、聖書を学ぶことによって、その痛みをキリストが十字架の上で負ってくださった事実に向き合わされ、痛みを覚えた神の光にある真の安らぎを味わう者とされていく。
 つまり救いに与るのである。日本の教会教育においてこのプロセスを通ることは重要である。それは、現代においてもしかりであり、むしろ実際のキリスト教人口が減少している欧米において、これまで日本で培われてきた教会教育が必要とされる時期に来ているのかも知れない。
 
3.実践と教育
 上記のことを踏まえて、教会教育は、教課計画を形式主義的な型どおりに行っているようなことを排除して、創造的な観点でみことばを生活に実践的に結び付けていく必要があると考えられる。
 そのために私たちは、自分自身に心を奪われず、主にある自由を生きることが重要である。そうでなければ、だれかにキリストを知らせることはできない。なぜなら、私たちは自分自身でキリストと生き生きとした交わりを持ち、みことばと御霊に満たされなければ、ほかの人に教えることなどできないからである[3]。
  教会教育は、聖霊の業であるということである。だからこそ、キリストの十字架と復活によって贖われた私たちは、その霊に満たされることを願い、御霊に導かれて日々歩む訓練を続けるべきだと考える。その訓練にみことばは欠かせない。アンドリュー・マーレーはこう言っている。
「重要なのは、神のもとから来られた御霊なのです。キリストがもたらそうとされた御霊、私たちのいのちとなり、みことばを受け取り、それを生活の中に溶け込ませる御霊が、みことばを私たちのうちにあって、真理と力のあるものとされるのです。」[4]
  教育の実践こそ、私たちは自分たちの武器を置き、神の武具によって再武装することが必要なのである。御霊の与える剣であるみことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができるからである。


[1] マタイ9:35
[2] ロイスE・ルバー「キリスト教の教育」多井一雄訳(いのちのことば社, 1982)p.169
[3] ロイスE・ルバー前掲書p.235
[4] ロイスE・ルバー前掲書p.289

「福音に立つ」 聖書箇所 ガラテヤ2章11~14節

1.序)
 「しくじり先生」という番組をご存知でしょうか。私は最近、あまりテレビを観ないのですが、その番組は好きでときどき観ています。タレントの方々が過去に経験した様々な失敗談を、まさに授業をする先生のように語るという番組です。そこで語られる失敗の数々が、実に面白いです。それは笑い話しとして面白いというよりも、一つ一つの失敗に、私自身と重なっている部分を観ることができるからです。
 何かにしくじったタレントさんたちは、その「しくじり」を通して必ず何かを学び、変えられていく姿を赤裸々に語ります。その姿に私も共感を覚えて涙なしには観られないときもあります。この「しくじる」という言葉の由来は、「為したことが崩れてしまう」という言葉が変化したものだそうです。せっかくかたちにしたものが崩れていく。それが「しくじる」ということなんですね。
 さて、聖書の「しくじり先生」と言えば誰でしょうか。おそらく、だれもが納得する「しくじり先生」が、今日取り上げたお話しに登場するペテロだと私は思います。ペテロほど、多くのしくじったエピソードが紹介されている人は、聖書全体を見渡しても他にはいないなぁと私は思います。今日は、ガラテヤ人への手紙にあるペテロの「しくじり」からともにみことばに聴いていきたいと思います。
 
2.アンテオケで
 もう一度、ガラテヤ人への手紙2章11節をお読みいたします。
「ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。」
 ここで言われているケパは皆さんもご存知の通り使徒ペテロのことです。使徒
ペテロはキリストの弟子という立場においてはパウロの先輩です。パウロがイエス様を信じたときも、パウロはまずペテロのところに来て15日間いっしょに過ごしました。それはパウロも、ペテロをイエス様の弟子仲間の先輩として認め、重んじていたからです。そこで、おそらくペテロから直接、イエス様ご自身のことやその語られた言葉を聞いたり、学んだりしたと思われます。
 そのペテロがアンテオケ教会に来た時の出来事です。アンテオケ教会は、使徒の働き11章によると、ステパノの殉教から起こった迫害によって散らされたクリスチャンたちが、散らされながらもイエス様のことを宣べ伝えた結果生まれた教会であるということがわかります。その教会としての特徴はユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンがいっしょに集まっていたということです。バルナバパウロがその設立に関わっていました。ところが、このアンテオケ教会で事件が起こりました。パウロがペテロに抗議したというのです。それはペテロに非難すべきことがあったからだとパウロは言っています。
 それがどういう状況だったかが12~13節に記されています。
「 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。」
 ペテロがアンテオケ教会に来た時、ペテロは異邦人と同じテーブルについて一
緒に食事をしていました。ところが、ヤコブ(つまり主の兄弟ヤコブ)が牧会しているエルサレム教会から、ある人たちが来ると、その割礼派の人たちのことを恐れて、ペテロは異邦人たちから徐々に離れていったというのです。
 ここに割礼派という人たちが登場しますが、これはユダヤの律法に厳格なクリ
スチャンのことです。使徒の働き15章1節の言葉を借りれば「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた人々だと言うことができます。もともとユダヤ教徒であったので、基本的にユダヤ人として割礼を受けているし、モーセの律法も守って生活することを常識としていました。それは、基本的にはペテロもパウロも同じです。でも、割礼派の人たちは、異邦人がいくらイエス様を信じたと言っても、割礼を受けていなければ同じ食卓を囲むことができないとしていたのです。そういう彼らをペテロが恐れたとパウロは言っています。
 私が救われた教会でのことをお話ししたいと思います。もう30年以上も前の
ことです。その教会で特別伝道集会をすることになり新潟から同じグループの教会の先生をお招きすることになりました。私は非常に楽しみにしておりましたが、その先生はそのグループの中でも長老格で色々と厳しい方だという前情報がありました。たとえば、礼拝では男性は必ずスーツでなければならないとか、女性の髪形や服装、化粧に関しても、聖書の記述通りにしていなければ注意されるなどです。それで、特別伝道集会当日になり、私が教会に入ると、若干室内の変化を感じたのです。それは、カセットテープの棚から当時ゴスペルソングと言われていた、若者向けの賛美テープが全てなくなっていたのです。それはどうしてでしょうか。それは、その新潟の先生の目に触れないように、誰かが隠していたのです。それは、その教派の特徴かも知れないし、そういう時代だったのかも知れないですが、聖歌や讃美歌などの伝統的な曲以外は教会で歌う賛美歌として受け入れられていなかったからです。特に、ギターで賛美なんてNGです。そして、厳しいという噂の先生が来るのですから注意されることを恐れたか、そんなことで余計な神経を使うことを恐れたかであると思います。いずれにしても、今ではどうでも良い問題です。
 話を戻しますが、恐らく、ペテロもその割礼派の人たちとのゴタゴタを恐れて、
ユダヤ人としての慣習を優先させて、異邦人からはなれたのではないでしょうか。しかし、そのペテロの行動でアンテオケ教会は結果的に分裂したかたちとなりました。それは、割礼派と一緒の席にいるペテロたちユダヤ人クリスチャングループ。もう一つは、パウロと一緒の席にいる異邦人クリスチャンのグループです。
 パウロが、このペテロの行動を「偽った行動(つまり偽善者)」と断言したこ
とには、きわめて厳しいものがあります。「偽善」とは、もともと役者が仮面をかぶってお芝居するという意味です。だから、ペテロは、神様を観客席に置いてお芝居をしたという、本心を偽った行動をとってしまったということです。単に人間に対してではなく、神様に対してのごまかしであることが大きな問題です。
 この偽善をパウロは言い変えて14節でこう言います。
「しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て…。」
 

 3.しくじりがもたらす影響
  パウロは、ほかのユダヤ人クリスチャンもペテロと同じ行動をとったのを見てペテロに抗議しました。
恐らくパウロは、だれかが先に抗議することを期待して待っていたのでしょう。しかし、他のユダヤ人クリスチャンたちも、みんながペテロ先生に右倣えしてしまったのです。特に13節の「バルナバまでも」というパウロのガッカリ感は半端ではありません。パウロの恩人であり、同労者として信頼していたバルナバまでもが、偽った行動に巻き込まれてしまったのです。
 ペテロのとった行動は、教会内に大変な影響を与えてしまいました。それは
当然です。ペテロは初代教会にとって大変重要な人物です。大先生です。その
人の言動は多くの人の心さえも動かす力があるものです。ここを見ると、教会
の中での牧師の言動も同じように影響力があるなあと思わされますね。
ここでパウロはペテロに対してこう言いました。14節後半です。
「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦
人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強
いるのですか。」
 私はパウロという人は、本当は謙遜であり、相手のことをいつも配慮してい
る信仰者であると思います。ある箇所では、「手紙だと重みがあるが、実際に
会ってみるとなっていない」と言われていますが、そう言われるくらい、パウ
ロは穏やかな印象の人だと、私は思います。またエペソ人への手紙4:29で、
パウロは、このように言っています。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人
の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」
 パウロは、この言葉通りに、いつも相手の徳を建て上げるために役立つ言葉
を選んで語ることのできる人です。パウロの他の手紙を見ても、そのことは明
らかです。しかし、ここではどうしても、強く、はっきり言わなければならな
かったのです。その理由は同じ2章の5節~6節に書いてあります。
「私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。そして、おもだった者と見られていた人たちからは、――彼らがどれほどの人たちであるにしても、私には問題ではありません。神は人を分け隔てなさいません。――そのおもだった人たちは、私に対して、何もつけ加えることをしませんでした。」
それは福音の真理が保たれるためだということです。パウロは、そのためには
相手がペテロのような大先輩だとしても問題ではないという姿勢を貫いていたからです。しかも、影響力のあるペテロが偽った行動をしてしまったことには、あえて公然と抗議することが必要であるとパウロは判断したのです。
 それは、ペテロのしくじりは、まさに文字通り、せっかくイエス様が「為した
ことが崩れされる」危険があったからです。
 ペテロの安易な行動は、ただゴタゴタを生むことにとどまらず、異邦人クリス
チャンを虐げ、律法主義クリスチャンたちに誤解を与え、教会を分裂させ、何よりも主イエス様の完全な救いに泥を塗ることになったのです。
 ペテロが若い頃、他の弟子たちと夜中に舟に乗って湖を渡っていたときに、そ
の湖の上を歩いて来られるイエス様に出会いました。そこでペテロは驚きつつも、主よ、あなたでしたら、歩いてここまで来いと命じてくださいと言って、舟を出て湖の上を歩いてイエス様の方へ向かいました。しかしペテロは途中でどうなったでしょうか。ペテロは、そこで、イエス様ではなく、風を見て怖くなり沈みかけたのです。今日の箇所でもペテロはイエス様を見ていませんでした。イエス様ではなく人を見て恐れました。ペテロもやはり同じようなしくじり繰り返してしてしまう。でも、これが私たちの姿でもあるのです。
 
4.福音の真理のために
 ですから大切なことは、私たち一人一人が、福音の真理についてぶれずに、まっすぐ歩むことだと言うことがわかります。それがパウロのすべてのクリスチャンに対する願いでした。
 パウロの焦点はぶれていませんでした。その目は何を見てたでしょうか。それは、イエス様の十字架です。次の3章1節でパウロはこう言っています。
「ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。」
 パウロの目が捉え続けたものは、十字架につけられた主イエス・キリストでした。それは全てのクリスチャンにはっきり示された福音の真理です。そして、これはガラテヤ人だけでなく、福音の真理から外れてしまいやすい、すべてのクリスチャンに対するパウロの叫びです。
私たちの目はどこに注がれているでしょうか。本当に福音の真理にまっすぐ歩んでいるでしょうか。福音を純粋に信じて歩んでいるでしょうか。私たちが救われたのは、イエス様を信じたからです。もちろんその通りです。私たちは行いによらず信仰によって救われました。しかし、ただではありません。神の御子の犠牲の上に成り立っているという価値がそこにあるのです。パウロはこの手紙の冒頭から、1:4にあるように「キリストは…私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました」と福音のど真ん中である、自分のためにいのちを捨ててくださったイエス様を捉え続けています。それが使徒パウロの視点であり、使徒パウロが願う、私たちが保つべき福音の真理なのです。
 
 私たち人間は自分の力では自分を罪の奴隷状態から救い出すことができませ
ん。だからキリストが私たちの罪も弱さも自ら背負われて十字架上で死んでくださり、三日目によみがえられることによって、私たちを罪の呪いから解放してくださったのです。その素晴らしい知らせが福音なのです。この素晴らしい喜びの知らせは、すべての人のためのものです。私たちはこの素晴らしい知らせに、何ものをも付け加えてはならないし、付け加えることはできません。それは、ただ主の恵みによって私たちに与えられるものだからです。
 新しい一週間が始まりました。今週も私たちのためにいのちを捨ててくださ
ったイエス様から目を離さずに、この福音の恵みに感謝しつつ、まっすぐに歩ませていただきましょう。
 
祈り
 

「自分と宣教」

序:イエス大宣教命令
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:18~20
 私たちすべてのキリスト者は、主イエス・キリストよりこの命令を受けていると信じる。この命令を受けた私たち一人ひとりのキリスト者は、この命令をもって、この世界に遣わされていると考えることができる。しかし、これまで私はどのくらい真剣にこのみことばに向き合って「宣教」を考え、また関わって来たのか。この度、宣教学序説の講義を受けて、あらためて私においての「宣教」を考え直したいと思う。
 
I.  主の教える宣教を私はどのようにしてきたか。
 ①滝川キリスト福音集会時代
 私は17歳のときに、イエス・キリストを信じ、バプテスマを受けてキリスト者となった。そして、間髪をいれず日曜学校の教師として毎週、イエス様のお話をすることになり、私の信仰生活が始まった。しかし、当時の私は、バプテスマを受ける前から少しは聖書を読んではいたが、ほぼ何も知らないと言っても良いくらいの素人クリスチャンである。相手が子どもであるだけに、悪い意味での適当は良くない。私は、仕方なく毎日聖書を読み、特に福音書を重点的に読むことになった。というか、読まざるを得ない状況であった。特に子どもの前で原稿を持って読むわけにはいかないので、暗記するというよりも、内容を理解することに時間を費やした。今思えば、それが今の私を形成するために主が用いられたことは、誠に感謝なことである。
 そんな慌ただしさの中での信仰生活で、私は「宣教」とは何かとか、「礼拝」とは何かなどと考えたことがなかった。常に実践の中でただ与えられた役目を果たすだけの信仰生活であったことは明白である。
 
 ②東栄福音キリスト教会に転会
そんな信仰生活から、少し組織的に聖書の教理を考え始めたのは22歳のころであった。丁度、それまで属していた教会から、今までとは違う教会、つまり現在の母教会である東栄福音キリスト教会へ転会する時期であった。東栄教会へ移ってから、私にとって不足していた教理についての教え、神学的な信仰の捉え方の必要を学ぶこととなった。聖書を継続的に学ぶことと、そして、そこからあぶり出される教理を知り、組織的に整理することが新しい取り組みであった。その中で、「宣教」についても考えるようになった。
 それはマタイ4:23のみことばに立ち止まったときからである。
「イエスガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」
 ここに描かれている主イエスのお姿に「宣教」とは何かと言うことを、私は考えるようになった。それは、当初、この大きく三つに分類できる内のどれが「宣教」だろうかと考え、きっと「教え」か「宣べ伝え」だろうと絞りこんでいた。それは、文字通りに教えるか、伝えるかだろうと、主イエスの業、すなわち私たちキリスト者が為すべき業を細分化して、そのうちの一つが「宣教」だと思いこんでいたからである。つまり、伝道も宣教も言い替えられる同義語にすぎないと捉えていたのである。
 
Ⅱ.これからどのようにしたいか
 しかし、北海道聖書学院に入学し、この度、宣教学序説を学び大きく理解を深めることができた。それは、あらためて大宣教命令のみことばを読み直すことにより、聖書が教える「宣教」が多角形的立体として捉える事ができたからである。そのみことばであるマタイ28:18~20は、その「宣教」の広さ、高さ、深さを指し示す。その目的は「あらゆる国の人々を弟子と」することであるが、まず「行って」という言葉に、これまで私が描いていた意味とは異なる、いや更に進歩した理解を知らされた。
「殻を破る」とは、まさにその中心概念である。この視点は、これまで「宣教」を福音伝道と同義語としてしか捉えていなかった私にとって、まさに大きな殻を破るべき視点である。
 私たちキリスト者にとって、常に殻が存在する。しかし、その殻は、油断をすると気づかないか、気づいていても避けることもできてしまうものである。だから、その殻をしっかり常に捉えていないと、私たちの「宣教」は「行って」というステップの大切さを見失い、キリストの教会としての使命から逸れた歩みになってしまうことは歴史が証明している。
 かつて初代キリスト教会はユダヤ人たちに迫害を受けた。その後、ローマ帝国中に広まり、今度はローマ帝国から迫害を受けることになる。しかし、4世紀に入りローマ皇帝コンスタンティヌスがクリスチャンになり、その後キリスト教が公認され、国教にまでなると教会は「殻」を見失う。迫害は決して起きてほしくない出来事だが、迫害のような打ち破るべき信仰のストレスを失うことで、クリスチャン一人ひとりも教会としても信仰の戦いを忘れ、安堵感と自惚れが強くなり堕落の一途をたどっていく。それは、教会と政治が繋がり、他宗教の禁止とオールキリスト教徒化によって、教会に不純物が入り込み、力を持ち、信仰のない教会員の増加に繋がる。そうなることは「宣教」のない教会を作ることになり殻を破ることから遠のいてしまうのである。
 しかし、1517年に殻を破る出来事が起こった。それは宗教改革である。カトリックの修道士であったマルティン・ルターはそれまで1500年かけてモンスター化したローマ・カトリック教会内にいながら、ヴィッテンベルク城の扉に95カ条にわたる質問状を公開した。そのルターの行動はヨーロッパ中に広がり、多くの国で殻が次々に破られていった。
 以上のように、今後も私たちキリスト者はそれぞれに与えられた立場や、環境において課せられている殻を認識する必要がある。平和が続いて、殻を見失っているなら霊の目が開かれて、しっかり捉える事ができるように祈るべきである。
 現代におかれている私たちにとっての殻とは何か。私にとっての殻と何だろうか。それは、この神学生としての訓練がまさにそうであり、同時に家庭内における妻や子どもとの関わりにある諸問題。または、現在、混迷を極めつつある社会問題、政治的課題、環境問題も私がキリスト者として正面からぶつかっていくべき殻であると思う。
 つまり、そういった具体的なことに関わっていくことが、前述したマタイ4:23にある「教える」ことであり、「福音を宣べ伝える」ことであり、「病気、わずらいの癒し」なのである。つまり、それら主に結び付けられるすべての取り組みこそが「宣教」なのである。
 
Ⅲ.宣教に生きる
 そして、その殻にぶつかっていくあらゆる取り組み、祈り、備えもまた「宣教」であり、またそこに向かおうとするキリスト者の存在の一つひとつ自体がまた「宣教」であると言うことができる。しかし、あらためて大宣教命令に立ち返ってみると、「行って…バプテスマを授け…弟子としなさい」へと向かうためには、義務感だけでは続かないばかりか、主イエスが望まれる「宣教」だと言えるだろうか。主ご自身はどのような思いで宣教されたかをみことばから見ると、主イエスはマタイ4:23と同様に9:35でも「教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、わずらいを直された」とある。ここで主が、群衆をどのようにご覧になっておられたかが記されている。9:36
「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」
 そして仰せられた。続いて9:37~38
「 そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」
 その後、十二人の使徒を選びその宣教の業を託された。ここに、主が私たちに何を求めておられるかが表わされていると思う。それは、まず主が群衆に思われた内臓をズタズタにするほどの憐れみを示されたように、その主の心をわが心とするということである。そのために主は祈りによる参加を呼び掛ける。そして、次に祈り手の中から働き人を召される。
 ここに私は、使徒14:26~27のアンテオケ教会での宣教師派遣にも繋がることと認識する。彼らは祈りの中で、その中からサウロとバルナバを派遣することを決定した。その祈りの中に聖霊が働き、彼らの危機意識・御国意識・宣教意識を高め、積極的な献身の思いが生み出されたのである。つまり、彼らは、彼らの前に置かれた「殻」を祈りにより聖霊の助けの中で打ち破って、次の一歩に踏み出して行ったのである。
 
結論
 それが、私が具体的に「宣教」に関わっていくに大切なプロセスであり、主イエスの御心をわが心としていく歩みであると確信する。その確信の源は、主が群衆に向けられたマタイ9:36の御心。その憐れみに満ちた心が私にも向けられている事実である。主はこんな私のために心砕かれ、はらわたを痛めるほどに憐れみ、愛して下さり十字架に迄向かってくださった。その主の愛を想うとき、私の心に生まれる思いは、私と同じようにその主の憐れみに気がついて主に立ち返る人が益々起こされることである。
 この偉大な主の宣教の業に関わらせていただける恵みに、ただただ感謝するのみである。これからも、この講義を通して与えられた恵みを反芻しつつ、恵みの業の一端を担いたいと願う。

「キリスト教の教育についての考察」

 
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18~20)
 キリスト教宣教の中核をなす「教育」において、その原点はやはりイエス大宣教命令にあると考えることができる。イエスご自身が「すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」[1]ように、弟子たちにもそのようにせよと仰せられたのである。
 この「教える」つまり教育というテーマは、この一般社会でも重視されていることは誰も否定しないだろう。しかし、何に基づいて何を教えるかを考えることは大切なことである。そもそも、私たち人間社会の歴史を遡っても、その原点はキリスト教会にあると言っても過言ではない。なぜなら、現代教育学において、その思想や哲学も教会を中心に形作られていったからである。しかし、今日、ポストモダンの時代に突入し、神を抜きにした教育がはびこり、人間の理性や合理的な解釈が先行して、教育本来の意義を失っていると言わざるを得ない。だからこそ、教育の本領を取り戻すためにも、キリスト教教育について再度みことばから確認し、教会におけるぶれない教育の実践に繋げていくためにも、この考察は大変意義深いことである。
 
1.キリストの模範と教育
 教会において、教育の任にあたる者はキリストの権威によってそれを為す。それは、その教える者が、自分の力や知恵や能力に頼んで行うことではなく、キリストご自身の力、知恵によって行うべきであることを言っている。それがキリストの権威によって教えるということである。だから教える者はキリストによって教えられなければならず、教えを受ける者も、その教えにはキリストを知ることが第一の目的であることを忘れてはならない。
 それは、キリストご自身がこの地上において歩まれたその歩みは、まさに神を愛し隣人を愛する歩みであったからである。それは、神の律法を全うした歩みであり、すべての人に神が求めている生き方だからである。だからこそ、キリストはその歩みを通して、この世をどう生きるか。神に造られた者として何のために生きるかという模範になられたのである。
 私たちはその足跡を辿りつつ、キリストご自身に似たものとなることを願い、教えられ、教える歩みを身に着けていきたい。ロイスE・ルバーは言う。
「神のひとり子を、それぞれの特殊な形でその身に表すために、私たちは偉大な造り主によって形造られたのです。」[2]
  ここに教育の基本があると考えられる。キリストはその全人格を表わすために、私たち一人ひとりを必要としておられる。だからこそ、自分自身の欠点や弱点がキリストに取り扱われて、新しくされることを願うのである。それによって、教える者も、教えられる者も相互に、神の真理によって次第に内面生活が統制されていくのである。
 
2.福音伝道と教育
 しかし、私たちがキリストに似せられていくということは、すなわちキリストが罪のないお方であったように、私たちは罪の問題を解決する必要がある。そのためには、福 音伝道との連続性にある教育が不可欠である。
 近代において、日曜学校教育が進み、欧米ではキリスト教家庭を土台にした教会教育が確立されていった。それが日本にも輸入されたが、異教文化の中にある日本では同じカリキュラムは馴染まなかった。それで、常に福音伝道との連続性、または融合の中で教会教育がなされてきた歴史がある。異教社会に住む私たち日本人は、神の概念がGodとは異なる。つまり救いに至るまでの、まず唯一絶対の真の神について学ぶことが必至である。
 これまでの「カミ」から聖書が示す神を知ってようやく、人間とは何かが見えてくる。神の聖なる光に照らされて、私たちは自分の罪が明らかにされていくのである。それまでは、見つからなければ、また考えるだけなら、罪に対して特に後ろめたいこともなかった人が、神を正しく捉えることで、アダムとエバがイチジクの葉で腰に覆いを作ったように、自分の存在そのものに恥を覚え、神の光に痛みを覚えるのである。しかし、聖書を学ぶことによって、その痛みをキリストが十字架の上で負ってくださった事実に向き合わされ、痛みを覚えた神の光にある真の安らぎを味わう者とされていく。
 つまり救いに与るのである。日本の教会教育においてこのプロセスを通ることは重要である。それは、現代においてもしかりであり、むしろ実際のキリスト教人口が減少している欧米において、これまで日本で培われてきた教会教育が必要とされる時期に来ているのかも知れない。
 
3.実践と教育
 上記のことを踏まえて、教会教育は、教課計画を形式主義的な型どおりに行っているようなことを排除して、創造的な観点でみことばを生活に実践的に結び付けていく必要があると考えられる。
 そのために私たちは、自分自身に心を奪われず、主にある自由を生きることが重要である。そうでなければ、だれかにキリストを知らせることはできない。なぜなら、私たちは自分自身でキリストと生き生きとした交わりを持ち、みことばと御霊に満たされなければ、ほかの人に教えることなどできないからである[3]。
  教会教育は、聖霊の業であるということである。だからこそ、キリストの十字架と復活によって贖われた私たちは、その霊に満たされることを願い、御霊に導かれて日々歩む訓練を続けるべきだと考える。その訓練にみことばは欠かせない。アンドリュー・マーレーはこう言っている。
「重要なのは、神のもとから来られた御霊なのです。キリストがもたらそうとされた御霊、私たちのいのちとなり、みことばを受け取り、それを生活の中に溶け込ませる御霊が、みことばを私たちのうちにあって、真理と力のあるものとされるのです。」[4]
  教育の実践こそ、私たちは自分たちの武器を置き、神の武具によって再武装することが必要なのである。御霊の与える剣であるみことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができるからである。


[1] マタイ9:35
[2] ロイスE・ルバー「キリスト教の教育」多井一雄訳(いのちのことば社, 1982)p.169
[3] ロイスE・ルバー前掲書p.235
[4] ロイスE・ルバー前掲書p.289

新約聖書神学 「貧しい」 poor



1. 【新約聖書】でのpoor
① πτωχός [34] 形容詞 「貧しい」        ●語源《πτωσσω うずくまる、ちぢこまる》
(共観福音書20回、ヨハネ4回、パウロ書簡4回、ヤコブ4回、黙示録2回。)
 ※πτωχεύω[1]動詞   πτωχεία[2]名詞  
 
② πένης[1]形容詞 (Ⅱコリント9:9)名詞的用法「貧しい人、貧乏人」 LXX.詩篇112:9引用。
πενιχρός[1] 形容詞(ルカ21:2)「貧しい…やもめ」    ●語源《πόνος 労働、苦痛、苦しみ》
 
2.πτωχόςが使用されている箇所から「貧しい」を考える。
① 福音書における「貧しい」
   福音書においては、山上の説教のマタイ5:3「心の貧しい者は幸いです。」から始まる。しかし、時系列的に見るならば、ルカ4:18「ナザレの会堂」における主イエスによるイザヤ書の朗読が最初に来ると考えられる。つまり「貧しい人々に福音を伝える」メシアであるご自身をまず旧約聖書から明らかにし、宣言されたということができる。
   ここで使われている「貧しい」は、第一義的には文字通りの生活困窮者であると言える。特にルカ6:20「平地の説教」においては「山上の説教」にある「心の」が使われず、直接的に生活困窮者のことを指していると思われる。しかし、ギリシャ語で「貧しい」を表わす単語が二つある中で、πτωχόςが使用されているのはなぜだろうか。
   πτωχόςの語源は、うずくまる、ちぢこまる(πτωσσω)である(1)。一方、πένηςにおいてはⅡコリント9:9でしか使われておらず、πενιχρόςもルカ21:2(貧しいやもめ)にしか使用されていない。ただし、πένηςもπενιχρόςも語源がπόνος(労働・苦痛)であることにより、「うずくまる、ちぢこまる」が「労働・苦痛」の結果もたらされる状態を表わしていることから、πτωχόςの方が「貧しさ」のレベルが重いことがわかる。バークレーによると、「πένηςは、豊かに暮らしている人の反対側の人々を単純に指している。…πτωχόςは、本当に餓死する危険が内在している情けない貧乏を言う」と解説されている(2)。
   野上綾男牧師が釜ヶ崎の生活困窮者について、貧しさの極限状態にある人たちにとって、お金は問題解決の手段にならないと語られたことを思い出す。単なる経済的困窮者であれば、お金があれば生活を軌道に乗せて、生活の安定につなげていけるかも知れないが、そこに社会的、民族的な傷が加われば、その傷は簡単には癒せないということだろう。
   そのような貧困の現実を鑑みれば、ここで言う第一義的な「貧しい」とは、手の施しようもなく落ちぶれた状態。その困窮ぶりが生命に関わるほどの窮まった、お金では解決できない状態であると言うことができる。そういう意味で、ルカの福音書に見られる「平地での説教」での「貧しい者」に語られた主イエスの言葉は、非常に強い慰めと励ましに満ちた革命的なメッセージが込められていることがわかる。
さらに、ここに「心の(πνεύματι)」が入ると更にその意味が変ってくる。直訳すれば「霊的に」という意味であるから、ここでの「心の貧しい者」とは経済的、社会的貧困ではなく、霊において苦しみ、うずくまっている状態ということになる。それは、言うなれば神から遠ざかって苦しみ、行き場を失っている人すべてということはないだろうか。それが神との断絶まで含んでいるとしたら、それはもう人間の力ではどうすることもできない。
 
出典:(1) 「新約ギリシャ語辞典」(岩隈直著)山本書店P.415    (2) 「新約聖書ギリシャ語精解」(W.バークレー著)日本基督教団出版局P.310

   
だからこそ、そこに神の御子が立っておられる。だからこそ、キリストがその貧しさを自ら負い、十字架にかかって死んでくださった。その贖いの業が「心の貧しき者」を天の御国に近づけたのである。あとは、その救いを用意された神の前に、そのままの自分を認めて、その救いを受け取るだけである。それが福音である。
 
この箇所の解釈は新聖書注解では、「富の多少ではなく、自分の心の破産状態を知って神により頼む者」という意味があると言われている(3)。W・バークレーも「絶望的なほどの窮乏を自覚し、神においてのみ、その窮乏が満たされることを心から確信している人は幸いである」と言っている(2)。
  ⇒ヤコブ2:5「神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」
 
 ② キリストのへりくだりを表わす「貧しい」…Ⅱコリント8:9
  「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
   ここでも、主イエスが実際に金持ちだったか貧乏だったかという話ではなく、ピリピ2:6~8にあるように、主は神としての栄光のお立ち場を捨てて、仕える者の姿をとって来られたという意味であると言える。つまり、へりくだられたということである。
 
 ③ 「貧しい」と訳されていない唯一の箇所…ガラテヤ4:9
  「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。」NIV「weak and miserable…」(弱くて惨めな)、新共同訳「無力で頼りにならない」⇒役に立たない、どうしようもない最低な状態を意味していると思われる。
 
④ 黙示録で解き明かされる「貧しい」の意味の深さ
 Rev.3:17「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」
 ⇒ただ貧乏だというよりも、みじめ、哀れ、盲目、裸といっしょに使うことにより、価値のない者を強調している。これまで見て来た新約聖書の「貧しい」πτωχός=poorの使用状況から、ここで使用されている「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者」とは、すべて「貧しい」に置き換えることができる言葉であると言うことができる。
 
 ⑤ マタイの福音書における「貧しい」で繋がるエピソードの連続性
  Matt5:3~Matt11:5~Matt19:21~Matt26:9~Matt26:11
  前述したように、主イエスのメッセージは革命的であった。それは「貧しい者」が天の御国に入る
 という、当時の常識を根底から覆すことであったからである。バプテスマのヨハネはヘロデに捕えら
れたとき、イエスが本当にメシアなのか、弟子を通してその真意をイエスに尋ねた。答えは「貧しい
者たちに福音が伝えられている」ことがその証拠であった。それでは、その貧しい者とはだれなのか。
そこに現れた金持ちの青年は、自らを完璧だと思いつつも確信がないため、永遠のいのちを得てい
 ると主イエスからのお墨付きを期待した。しかし、彼はイエスよりも高い場所に自分を置いていることに気がつかず、全財産を手放すチャレンジに悲しみながら去ってしまった。そのあと、ナルドの香油の事件があり、ベタニヤのマリアの行為に憤慨する弟子たち。しかし主は、彼女の行為を喜ばれた。それは主への油注ぎであり、そのために聖別して、主への愛を具体的に表わしたからである。「貧しい人たちに施しができたのに」という弟子たちの言葉は、そのまま自らに返って来る。その言葉には貧しい人たちに対する愛はなく、また主に捧げようとするマリアのような主への愛もなかったが、主にいのちをかけているという自信があった。しかし、十字架を目の当たりにして、その自身は打ち砕かれた。ペテロは復活の主に三度も「わたしを愛するか。」(ヨハネ21:15)と問われ心を痛める。
彼らは体験をもって自分の貧しさを知った。そこで真の油である聖霊の注ぎを受けることになる。

「原初史(創世記1章~11章)において、神はどのように描写されているか」


 私たちに伝えられているものは、聖書の最初の十一の章において人類創生の全歴史を貫く、世界と人類の起源についての問いの奥深い部分にその根を持っている。聖書の原初史には、初期の段階における人類の諸宗教と聖書を結びつける共通のものが見える。
 問題は、創世記1~11章の個々のテキストが、その他の地域または他の宗教から伝えられてきた個々のテキストと類似性があるということだけではない。むしろ問題は、創世記1~11章に見られるいくつかの主だったモチーフが、全世界の諸民族の初期の時代に広く見い出されることである。この点において、それらが、人類の歴史における何らかの普遍的なものを表しているということではないだろうか。
 
1.全宇宙の創造者である神
 ユダヤ人の間では、伝統的に創世記はבְּרֵאשִׁ֖ית と呼ばれる。また「創世記」というタイトルは七十人訳に由来している。それは「起源」を意味するγένεσις であり、モーセ五書のうち第一番目に位置する最も重要な書である。それは、神について、神がどんな存在で、私たち人間とどのような関わりがあるのかが、そこに明らかにされているからである。
 まず1章に表されている神は、創世記の名の通り創造の神である。しかも、このときにはまだ主(יהוה) ではなく神(אֱלֹהִים)である。神は心の声か独り言をもって光を造られた(1:3)。以降、同様にそのことばを発して、その他の被造物を創造した。そしてついに人間を、ご自身のかたちに創造された(1:28)とき、独り言でも心の声でもなく「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ…すべての生き物を支配せよ。」と人間に命じられたのである。
 そのように、著者は、創世記第一章の創造物語(narrative)を、天地創造に始まり、族長たちの物語、エジプトからの救済、シナイでの啓示、荒野の導きを経て、約束の地への進入にまでいたる歴史著作の導入部としている。これを祭司文書とするならば、この歴史物語は、エルサレムで行われる礼拝の基礎付けを目標とするものであるが、創造物語はその冒頭で、この道を通じてその民を導いてきた神が、世界と人類を創造し、すべての生物を祝福した神に他ならないことを表現するのである。聖書のこの最初の章では、世界の創造に二つのことが含まれている。一つは、すべての業において常に同じ形で繰り返されることばによる創造であり、もう一つは、個々の創造の業における神のそれぞれ特別の働きである[1]。
 
①ことばによる創造
 神は、その命ずることばによって世界を創造した。まず「神は…仰せられた」[2]という文章で命令のことばが導入され「あれ」という命令が発せられる[3]。続いて「するとそのようになった」と命令の実行が報告される[4]。そして、締めくくりに、神の判定が「神は見て、それをよしとされた。」と記される[5]。これに時間的位置づけが加わる。「夕があり、朝があった。」[6] この時間配列による枠組みは、区分された時間の全体像を指し示す。すべてのことは神の命ずる言葉によって起こる[7]。
 
②個々の創造の業における神のそれぞれ特別の働き
 神は「区別」[8]し、「名づけ」[9]、「造り」[10]、「祝福」[11]する。これらの動詞は、次のように個々の創造の業に配分されている。すなわち、「区別」と「名づけ」は最初の三つの業について語られ(3~5,6~8、9~10節)、「造り」は天体(14~19節)に関して語られ、また天蓋と陸生動物(24~25,26節)に関して語られ、創造と祝福は、動物と人間の場合に語られている[12]。
  もしここに、より古い伝承が取り入れられていると想定するなら、いくつかの調和しない事柄が生まれる。このことは、バビロニアの創造叙事詩等に見られる創造の業の順序との一致に示されているが、光の創造が後の天体の創造とどう関係するのか等についても、個別釈義で扱われるべき事柄なのか説明は困難である。
 
2.全人類の創造者である神
 創世記を読むとき、2章4節と5節の間で文章の性格が変化していることに気がつく。新改訳聖書はこの部分で本文を大きく区分することによって示している。第一章は構成の点で、入念に讃歌のような定型句で様式化されていると言うことができる。たとえば、「神は・・・名づけた。・・・夕があり朝があった。」というふうに鍵となる言葉が繰り返しあらわれる。
 
①創世記1章~2章「人の創造物語」
 その言葉を反復させて注意深く用いている箇所が1章27節にある。
「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」
 この章全体にわたって、神を現わすのに用いられている言葉は限られており、更に厳粛さを与える。しかし、それは「神である主が地と天を造られたとき」(2:4)という言葉以後とかなり違っている。それは、2章4節以後の言葉は物語的であり、簡潔ではあるが際立って生き生きと描かれている。第一章で用いられていた鍵の言葉等は使われていない。「創造した」(ברא)の代わりに「形造った」(יצר)という表現を用いていることはその良い例である。
 神を現わすために用いられている、そのような表現は素朴である。たとえば神は、まるで陶芸家のように土地のちりでかたち造った人間の鼻にいのちの息を吹き込む。またエデンに園を設け、「そよ風の吹くころ・・・園を歩き回られ」、主の声(または音)を響かせるという、まさにそのような表現の変化が始まるところで、神を表す新しい名前、すなわち「神である主」(יְהוָ֥ה אֱלֹהִ֖ים)という名が現れる。
 
②創世記6章~8章「ノアの洪水物語」
 この箇所において描かれている神は、異なった神の名を用いる文章からなるパッチワークとなっている。6:5~8、7:1~5、8:20~22では、神の名は主(יְהוָ֥ה)である。しかし、1節のうちに神と主(יְהוָ֥ה)の両方が登場する7:16を除いて、他のところでは神(אֱלֹהִ֖ים)である。その上、7:1~5で神がノアに語ることは、奇妙にも、6:9~22で神がノアに語っている言葉の繰り返しである。反復は古代の物語のテキストではごく当たり前のこととはいえ、矛盾でもありうる。ノアは、6:19で、どんな種類の生ける被造物も「それぞれ二匹ずつ、雄と雌とを」彼と共に箱舟に乗せるように語りかけられている。しかし、7:2では、主はノアに、犠牲として用いることのできる「すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがい」を彼と共に箱舟に乗せるように命じている。7:4では、再び主がノアに「四十日四十夜、地上に雨を降らせ」と警告をするが、これは7:12で起こったこととして記述されている。しかし、7:24では、神は「水は、百五十日間、地の上に増え続けた」とき、ノアのことを心にとめる[13]。
  神の命令は命を意味し、その命令に従うことは、命の獲得を意味している。ノアと、その家族とすべての生き物は、その家族ごとに箱舟から出て、新生した大地における新たに授かった生へと入っていく。ノアの犠牲奉献は、多くの洪水物語に見られる特徴に合致している。それぞれシュメール、バビロニアギリシャの洪水物語の主人公であるジウスドラも、ウトナピシュティムも、デウカリオンも、洪水の後に犠牲を捧げる。それは、古代世界において、生死に関わる危険を切り抜けた者の当然で自然な反応である。救済を祝って、救い主に捧げられる犠牲には、救済に対する感謝と、新たに始まる生における救い主への信頼との双方が表現されている。原初の物語においては、宗教史全体において基本的な犠牲の二つの動機が現れている。すなわち、カインとアベルの犠牲は祝福をめぐるものであった。ノアの犠牲は、救済をめぐるものである。それは、死ぬほどの危険の中で守られた者の捧げる犠牲である。犠牲は、救いと祝福を与えられる神に捧げられる[14]。
 「主(יְהוָ֥ה)は、そのなだめのかおりをかがれ…」(8:21)という表現は、定式的なものだと言われている。それは「ギルガメシュ叙事詩」でも同じような文脈に見られ、イスラエルでは、後期の時代に至るまで、犠牲奉献の用語であり続けた。そこで言われているのは、神が恵み深くノアの犠牲を顧みたということである。
 
3.原初史における聖書と他の資料
 原初史において、神の描写は他の歴史資料に類似する点が多く、特にギルガメシュ叙事詩は、驚くほど創世記の記事に似ている。類似点は以下の通り。
①両方において、洪水が人間の罪に対するさばきであった。
②1人の人が警告を受け、舟を造って救われたこと。
③両方ともとどまったところを山とし、二羽の鳥のことを書き、二番目に放った鳥が帰らなかったと言っている。
④両方とも救われた者たちの礼拝と、彼らに対する祝福を語っている。
相違点は以下の通り。
①義なる神の高貴な概念と粗野な多神教思想。
②罪の観念が違う。主なる神は罪を裁くが気まぐれではない。
③聖書では、事実が慎みをもって、高貴な神学と道徳的内容をもって記録されているが、バビロンの記事は、神話と迷信に覆われ、道徳的な内容の多くを失ってしまった核だけが残っている。[15]
 
●結論 神は創世記1~11章において、全人類の神(אֱלֹהִים)である主(יְהוָ֥ה)として啓示している。原初史において、多々ある資料で類似することも含めて、罪とそれに対する責めを全人類が負っていることが示されていると考えられる。しかし、1~11章で「堕落と救い(祝福)」が繰り返されている祝福の完成型として、神は罪の負い目から人類を解くために完全なる救いを用意された。その具体的な救いの計画と業を12章以降のアブラハムにおける契約の中に、そして、そこから始まるイスラエルの歴史を通して啓示されたのである。
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[1] Westermann, Claus, 山我哲雄訳『創世記Ⅰ』(教文館, 1993)p.34
[2] 創世記1:3,6,9,11,14,20,24,26節
[3] 同上
[4] 創世記1:3,7,9,11,15,24,30節
[5] 創世記1:4,10,12,18,25,30
[6] 創世記1:5,8,13,19,23,31
[7] アブラハムに対して:創17章, モーセに対して:出25章。
[8] 創世記1:4,7
[9] 創世記1:5,8,10
[10] 創世記1:7,16,25
[11] 創世記1:22,28
[12] Westermann, Claus,前掲書,p.35
[13] 日本語訳聖書では明確になっていないが、NEBでは、7:24を時を表す副詞節に訳し、8:1を主節としている。したがって、神は洪水開始の後、150日してノアのことを考えたということになる。→大野恵正訳『創世記 ケンブリッジ旧約聖書注解』(新教出版社,1986),p.6
[14] Westermann, Claus,前掲書,p.150~151
[15] ヘンリーH. ハーレイ『聖書ハンドブック』(いのちのことば社, 1984),p.80

「旧約聖書に見るイエスと神の御国について」

序)主イエスは、主の祈りの中で「御国が来ますように」と祈られた。この祈りは、果たして新約においてのみ有効なのだろうか。いや、そうではない。天地創造から黙示録まで貫かれた神の偉大な計画の完成を願うという、人類の救済とそこから召された者の使命として最も崇高な祈りである。主イエスによる旧約聖書における御国建設の業を今一度考えてみたい。
 
I.      天地創造
A.   初めに(神の普遍的統治)
1.     天地創造におけるイエスの関与
  「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)この大いなる御業の初めから御子はおられた。それは「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)というみことばによって裏付けられる。御子はまだ名を現してはおられなかったが、人間を創造されるとき、聖なる独り言を仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」(創世記1:26)
 
2.     天地創造における神の住まい
  このときまで、神はどこにおられたのか。私たちが知る限り「地は茫漠として何もなかった」(創世記1:2)という神の住まいは「やみが大水の上にある」という神の国であった。神の霊が水の上を動いていたという御霊の様子を示す表現は、いささか私たちにはわかりにくい。しかしわかることは、神は、茫漠で終わらない新しいご自分の王国の建設を始められたということである。
 
B.    エデンの園
1.     園を歩く神としてのイエス
  神は天地を創造され、地にエデンの園を置いた。神は、そこに人間をお造りになり、人間との交わりを始められた。しかし、人間は神に背き、神から身を隠した。そのときの神のエデンの園における様子が描かれている。「そよ風の吹くころ…園を歩き回られる神である主」(創世記3:8)とは、まさに主イエス受肉前とはいえ、そのようなお姿で神としておられたとしても不思議ではない。2世紀に活躍した教父エイレナイオスも、エデンの園を定期的に歩き回りアダムと交わりを持っておられたのは「ロゴス」。つまり、第二位格の御子だと言っている。
 
2.     エデンの園における御国の型
  人間は罪を犯し、神が与えてくださったエデンの園を追放されてしまった。そして、その神は、入り口にケルビムを配置し(創世記3:24)、人間が簡単に戻れないように閉ざした。それはまさに、エデンの園が神とともに住む神の御国であったことの証拠である。これによって、エデンの園の場所は私たちの目には見えなくなった。そして、その後幕屋の至聖所として、そこに近づくことの難しさをイスラエル民族を通して学ばせられる。ところが神は、「女の子孫」によって人類の救済プランを明かされた(創世記3:15)。
 
II.    出エジプト~カナン
A.   わたしはある
1.     モーセに現れるヤハウェとしてのイエス
  ヤハウェなる神は、燃える柴の中からモーセに語られた。そして、その名を「わたしはある」と仰せられた。その声は最初御使いであったが、いつの間にか神になっていた。この神こそ、新約においてἐγώ εἰμι と語られたキリストである。主イエスは度々、ἐγώ εἰμι を用いられ、ご自身が燃える柴の中からモーセに語ったYHWHであることを現された。
 
2. 幕屋礼拝に見る御国の型
  主は荒野で40年間イスラエルの民を訓練された。その訓練の最も重要なテーマは「礼拝」であった。かつてエジプトにいたイスラエル人たちは、必ずしも純粋に主なる神を礼拝していたわけではなかった。だから約束の地に入るまでに、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がどれほど聖なるお方であり、どのように礼拝すべきお方かを学ぶ必要があった。それで、主はモーセに幕屋を造るように命じ、荒野を進み行きつつ、主を礼拝するためには罪の贖いを続けなければならないこと。そして、ひいては約束の地で主を礼拝して、主こそ神であることを世界中に証しするためであった。それは即ち、神殿礼拝のための訓練であり、来るべき御国における礼拝の予表であった。
 
B.    ヨシュアによるカナン攻略
1.     ヨシュアの役割にみるイエスの姿
  旧約におけるイエスは、人物を通してであったり、出来事を通して、その姿を現す。パウロによれば、律法は信仰による義に至るまでの養育係であった。律法はあくまで私たちを御国に至るまでの養育係であり、御国に至る手段はあくまで主イエス・キリストを信じる信仰によってである。それは、まさしくカナンの地に至るまではモーセイスラエル人たちの養育係であり、カナンへ入ったのはヨシュアによるものであったことと類比できる。御子はヤハウェなる神としてヨシュアを導きつつ、やがて自ら信仰の創始者であり完成者として成される「信仰による義」としての救いの業を重ねていたのである。
 
2.     カナンに見る御国の型
  カナンの地は別名「乳と蜜の流れる地」であった。それは神が与えられた約束の地としての期待と希望に溢れた、安息の楽園のようなイメージであった。しかし、実際には偶像を崇拝しているカナン人が住み、砂漠や荒野に囲まれた地であった。夢に見た楽園には程遠かった。しかし、このカナンの地への旅こそ、将来、訪れる新しい天と新しい地を先取りした、祝福の旅であり、祝福の土地だったのである。荒野で幕屋によって唯一真の神である主を礼拝することを学んだイスラエルの民は、いよいよ、更に具体的なヤハウェ礼拝へと向かっていくことになる。
 
III.  王国時代とバビロン捕囚
A.   イスラエル王国(神の特別統治)
1.     ダビデ王家の確立とイエス詩篇2:4~6参照)
  神がアブラハムに約束されたことは、ダビデの家系に繋がっていく。ダビデ王こそ、主に油注がれた者であった。その王座は堅く立ち、その治世は永遠に続くという主の約束がソロモンよりも力のある王である主イエスの王国を指し示すものであった。だからこそ、マタイはその福音書の1章に、ダビデ王家の系図アブラハムから記し、イエスこそ来るべきキリストであったことを証明している。主がダビデとの間で結ばれた契約は、主の一方的な恵みの契約である。これは、将来におけるイエスの十字架の犠牲にフォーカスさせる。
 
2. 神殿礼拝にみる御国の姿
  ダビデが準備した神殿は、すべて心から主を喜んで進んでささげる者たちのささげものによって造られた(Ⅰ歴代29:9)。ダビデの後を継いだソロモンがその神殿を奉献した。栄光の雲が神殿に満ち、主の臨在が現された(Ⅱ歴代5:14)。この神殿こそ、イエスご自身の型であり、御国における礼拝のひな型である。しかし、ソロモンが建てた神殿はバビロンによって破壊され、捕囚後における神殿建設において、イスラエルは神を礼拝する喜びを改めて教育させられた。
 
B. 預言者とバビロン(終末的側面)
1.     預言者が指し示すイエスの姿
  イザヤ書記者は、イザヤ書の中で4つの「しもべ」の預言をしている。その姿は主イエスを指し示している。特に苦難のしもべとしての描写は預言とは思えないほど、具体的で詳しい。だれがこのしもべをメシアだと認識していただろう。預言は、未来のある一定の出来事の予告だけでなく、何重もの歴史的事実が重なっている場合があるため、イザヤが預言していた時代に近いところで第一の成就があったのかも知れないが、旧約聖書において詳細な主イエスの情報を知り得る貴重な預言である。そういう意味では、45章のクロス王についての記述は実にユニークである。それは、あきらかにペルシャのクロス王を指していると同時に、それだけでなく主イエスを指し示す意味も含んでいるからである。それは、ユダ王国のバビロン捕囚と解放、帰還について書かれていると同時に、終末的な神の御国に至る預言でもあるということである。
 
2.     来るべき御国の姿
  ただし、イザヤ書における御国の描写は、どことなくエデンの園の再来のような地上における被造物の回復に留まっているように見受けられる。猛獣が子どもと戯れるなどは、まさにその善い例である(イザヤ11:6~8)。35章の様子は、荒野に水が湧きだし、荒れ地に川が流れるなど、自然界のバランスが回復していく様をよく現している。しかし、エゼキエル書の描写は、地名は既存のものであるが、その様子は常識を超えた広がりを感じさせる(エゼキエル47章)。
  イスラエル民族にとって、これらの預言はこの地上における歴史の延長上にある世界への希望だったのかもしれない。期待されるメシアもイスラエル王国も、現在のイスラエル共和国の上に成り立つというイメージである。しかし、聖書はイエスをキリストとして、既に神の国の到来を宣言し、同時にやがて訪れる完成された神の王国を待ち望むことを語る。 
それは、Laddが言うように、「神は王であるが、同時に王となる必要もある」ということと繋がる。
 
結論)主イエスは、新約聖書だけの主ではなく、天地創造の初めから父とともにおられ、また神としてその業に関与された。アダムとエバの罪をご覧になり、人類救済のプランを計画したとき、父なる神とともにおられたひとり子の神である。神は、人間と交わることを望まれ、共に住む王国の建設を目指された。そこに、犠牲の子羊としてのイエス・キリストを予定され、旧約聖書の中でイスラエル民族を通して、その輪郭を現してきたのである。だから私たちは、その主イエスの輪郭とやがて来る神の御国の輪郭を、旧約聖書の中から味わうことができる。 
それによって、ワルトケが言うように「神はイエス・キリストの王権を通して、自ら選んだ契約の民のうえにご自分の支配を確立しようとされた。」ということを理解することができる。それは現在、クリスチャンという個人の中に、また教会の中に建てられた御国であり、同時にキリストの再臨によってやがて完成される御国である。
 
 
 
 
【参考文献】

ロバート・リー著、「輪郭的聖書」、伝道出版社、1953年

エドワード・ヤング著、「旧約聖書緒論」、いのちのことば社、1956年

W.フィッチ著、「聖書注解」キリスト者学生会、イザヤ書、聖書同盟、1959年

ヘンリー.H.ハーレイ著、「聖書ハンドブック」、いのちのことば社、1980年