のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

● 「献身のあかし」 (short version)   

  私は、1966年生まれで、現在53歳になります。出身教会は札幌の東栄福音キリスト教会です。妻が一人おりまして、息子が三人おります。妻とは教会に隣接する牧師館で、何とか仲良く暮らしていますが、息子三人は成人して、それぞれの生活をしております。


  私が洗礼を受けたのは1983年高校3年生のときです。私は、小学校1年生くらいから、キリスト教が好きな子どもでした。図書館から一度に何冊もの「キリスト」という伝記を借りてきては読み比べるのが好きだったのです。特にイエス様が十字架に架けられている絵が好きで、よく眺めていました。なぜ好きだったのかと言いますと、実は、1年生のときに、親戚のおじさんの家に行ったときのことです。そこに1冊の画集があって、その中にイエス様の十字架刑の絵があったのです。それが私が生まれて初めて触れたキリスト教と言っても良いと思います。小学生の私は「この人は、なぜこんなふうに殺されているのか」と叔父に質問しました。すると叔父の答えは、「その人はキリストと言って、今から2000年くらい前にみんなの身代わりに死んだんだよ。その中にお前もいるんだよ。」でした。それからです。子どもの私には、意味がわかりませんでした。「何千年も昔の人が、なぜぼくのために死ぬんだろう」
  それ以来、私は、イエス様が十字架に磔られた絵によって、私の心がキリストに釘付けになったのです。因みに叔父さんはクリスチャンではありません。そういう知識を持っていただけです。

  そして、そのあと私は今の滝川福音キリスト教会の前身、OMFのヌッスバーガーさんという宣教師宅に英語を習いに行きます。スイス人の宣教師でした。私は小学校5年生でした。しかも、その宣教師の家は私の叔父さんの借家だったのです。その宣教師はその後1年くらいでスイスに帰国しました。
 その後、私は、中3のときに1枚のトラクトをもらったのがきっかけで、同じ滝川の他の教会に行くようになり、高3で洗礼を受けましたが、その時の私には聖書を疑うという選択肢はありませんでした。聖書のことばもメッセージの内容も素直に受け入れることができたのです。
 なぜなら、あの1枚の絵を観て思わされた「なぜキリストという人がぼくのために死んだのか」という疑問が、すべて解決したからです。私は、この疑問が解けて、本当にすっきりしました。キリストというお方は、神様が人となって来られたお方だったという事実を聞いた時、心に引っかかっていたものが一気に流れていきました。
 神様は、本当に不思議なかたちで私を早いうちから、1枚の絵、数々のキリスト伝、OMFの宣教師、そして1枚のトラクトと捉えてくださり、私の心と言う畑を耕しつつ、導いて救ってくださったのです。
  その後、私は26歳で献身の思いが与えられ、神様の長いトレーニングを経て、2015年49歳のときにHBIに入学しました。神様は一つのみことばを与えてくださり、このHBIへの入学を後押ししてくださいました。

エレミヤ33:2~3
「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」  

  2018年にHBIを卒業して、日本メノナイト白石キリスト教会の牧師として仕えています。年齢も53歳です。記憶力も薄れ、体力も減退し、若い時の活力もありません。自分を見たらがっかりします。しかし、私自身にではなく、私の理解を越えた大いなる事を主に期待しています。
  主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができると、神様は仰せられるからです。私には何もありません。でも、召してくださったお方から、学ぶ力も、祈る言葉さえも与えていただきながら、主の働きに間に合う者として整えられたいと願います。