のりさんのブログ

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隣のアパート

昨日は久しぶりに日中の気温が高かった。それで、隣のアパートのある部屋も窓を開けていた。

 

昨日は金曜日。私は日曜日の礼拝説教の備えをしていたが、その隣のアパートの部屋から中学生か高校生の男子の何かで遊んでいて叫ぶ大声が何時間も続いたのである。

 

最初は気にしないように集中しようと必死だったが、それでも外まで響くような大声が聞こえ、段々とイライラしてきて、もう説教の準備どころではなくなった。こんな気持ちでは神のことばを聞くことができない。

 

そういうことで、週報の印刷だけして早々と家に帰ることにした。それにしても、実は昨年もそうだった。隣に移り住んで来たのはどんな家族なのかはわからない。でも、近隣のことを気にしないで大声でふざけている少年がいるのは確かだ。

 

その窓からゴミも落としているようだ。丸めたティシュやお菓子類の袋など、ちょうど教会の敷地に落ちる。それを片付けるのも私だが、実はその部屋からゴミを捨てている場面を見たことはないだけに苦情を言う訳にもいかない。

 

これが昨年はコロナで学校が休みだったことで昼間からうるさかったが、今年も彼が家にいる時は、このうるささなのかと思うと気が重い。

 

でも、そういう彼も福音によって救われなければならない。大声でふざけて、今は楽しいかも知れないが、そのままでは永遠のいのちはない。

 

だから祈らされる。彼が渇いた心で神を求めることを。救いを求めることを。自分の罪がわかることを。救い主がおられることを。

 

エス様も言われた。何のために私は伝道者にされたのか。どうして教会で説教を準備しているのか。もう一度原点に帰らされる。今日こそ、心を空にして主の言葉を聞こう。そして、明日の主の日のために備えさせていただこうと思う。

 

"イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」"
マルコの福音書 1章38節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会