のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

本日の日本教会史

f:id:kinokunizaka66:20220129191023j:image

 

 

日本教会史の授業は、朝8時20分からなので、今日も早めに30分前くらいに北海道聖書学院に到着しました。
図書室にいると学院長が来られて、しばらくお話をしているうちに8時になりました。

今日の講義内容は、20世紀大挙伝道における福音の伝播と挫折です。

この明治期の宣教は、ほぼ10年刻みで変化が著しく、リバイバルが2〜3年あったと思ったらすぐに挫折を経験しています。

前回、1890年から1900年の中では自由主義神学の影響があり、伝道不振の時代を迎えてどうなるかと思いましたが、この1900年からの10年は福音同盟会によって教派を超えた大挙伝道を行うことになりました。

当初、足並みを揃えて向かおうとした宣教に混乱もありましたが東京の京橋で起こったリバイバルを足がかりとして、全国にそのリバイバルの火が飛火していきました。

ところが、せっかく広がった福音の炎もその大挙伝道の中で挫折を迎えるのです。それは、ある者は「イエスは人となられた神である」と宣教し、ある者は「イエスは神ではなく人間教師である」と宣教したことによる混乱です。

そこから植村対海老名神学論争に至り、やはりここで、自由主義神学の影響による福音の不一致が挫折の発端になっています。ここで語った植村正久の言葉が今も重要であると思います。

「神人となりて世に下り、十字架に死して人の罪を贖いたるを信ず」「この信仰を主張し、この信仰を人に伝うるをもって主義とするは余輩の伝道なり」

残念なことは、植村正久も高等批評を受け入れ、聖書観においてはブレていたので、後進の牧師たちにもその影響が出て、昭和期における日本基督教団結成の折、更に大きくブレてしまったとも言えます。

大正期を迎え、政府は神道・仏教・キリスト教の代表を三教会同として集めます。これに招かれた井深梶之助はこれでキリスト教神道や仏教と肩を並べられるようになったと喜びますが、内村鑑三柏木義円は反対の態度を表します。このときの柏木義円の言葉も大事なことを伝えていると思います。

彼は「政府の所謂宗教利用」と題する文章を「上毛教会月報」に発表し、この会合を批判しました。彼は「この会合は政府の宗教利用であり、宗教は自らの真理性に立って伝道すべきであり、政府の保護によって生きるべきではない」と主張したからです。

次回は、箸休めとして日本人初の海外宣教師「乗松雅休」について学びます。