のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

福音に新たな意味づけをして、最先端の神学を信奉しているなどと高ぶってはならない。それは異端への入り口である。

"愛する者たち。私があなたがたに書いているのは、新しい命令ではなく、あなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いているみことばです。


私は、それを新しい命令として、もう一度あなたがたに書いているのです。それはイエスにおいて真理であり、あなたがたにおいても真理です。闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。"
ヨハネの手紙 第一 2章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

最近、聖書の権威や懲罰的代理など、キリスト教において大切にされてきたことが、古臭いと言われ、神のみことばにすら相対的に扱う神学が流行っているようである。

 

おそらく、このような新神学の流れは、そもそも啓蒙主義における人間の理性への啓発などが作用していたのだろうが、最近は、そこに更にフランクフルト学派からの新左翼思想が影響していると考えられる。

 

戦時中、ナチスに追われたフランクフルト学派の学者たちはアメリカに逃れ、コロンビア大学を新しい拠点として活動を広げて来た経緯がある。それは、マイノリティにある小さな集団、つまり人種差別、女性人権問題、同性愛者など、個々においては小さな声も、それを平等の名の下にまとめて集めると、とてつもなく大きな声になり、大きな力となる。

 

それがやはり平等とか平和とか人権とか自由とか、耳触りの良い言葉によって、そのマイノリティにある人たちのストレスを発散させることが人間としての当然の権利であるとメディアを通して広め、ポストモダンにある今日の個人主義と相まって、もはや区別すべきものすら差別とされ、今、社会は無秩序な混沌に陥りつつある。

 

いまや、同性婚について反対意見を言おうものなら、それこそハラスメントを受けかねない情勢である。しかし、このような新しい文化、いや思想がキリスト教会にも入り込んでおり、もはや聖書を神の言葉として絶対化することは危険視され、批判の対象となり、牧師という教会指導者をもその立場を相対化させて、権力が集中しないように、いや、その肩書きすら不必要として、民主的な教会形成こそ正しいと思われている。

 

これは、まさにフランクフルト学派が目指す新マルクス主義的価値観と重なる。教会すら神の権威よりも、所属するキリスト者教会員個々の善し悪しで良いという、エデンの園における人間の堕落に輪をかけて加速させている。

 

神の真理を古いと言って切り捨て、人間に都合の良いように聖書を解釈して、時代にあったキリスト教を作ろうとしているサタンの支配に危惧せざるを得ない。

 

実に末期的である。自由に真理を真理と言うだけで、それは一方的であり、他の権利を認めていないと批難を受ける。

 

黙示録にある七つの教会に見る終末時代がもう始まっているのか。これからも注視しつつ、古いと言われようが、主イエスがいのちを捨てて与えてくださった救いの恵みをそのまま語っていきたい。

 

エペソ人への手紙
5章
1,ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。
2,また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。
3,あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、淫らな行いも、どんな汚れも、また貪りも、口にすることさえしてはいけません。
4,また、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談もそうです。これらは、ふさわしくありません。むしろ、口にすべきは感謝のことばです。
5,このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。
6,だれにも空しいことばでだまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。
7,ですから、彼らの仲間になってはいけません。
8,あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。
9,あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
10,何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。
11,実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。
12,彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
13,しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。
14,明らかにされるものはみな光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ、起きよ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らされる。」
15,ですから、自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、
16,機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。
17,ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。
18,また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
19,詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。
20,いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。
21,キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。
22,妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
23,キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。
24,教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。
25,夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
26,キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
27,ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
28,同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
29,いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。
30,私たちはキリストのからだの部分だからです。
31,「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
32,この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。
33,それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。