のりさんのブログ

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伝道者の心得

"キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。


あなたは、これらのことを十分な権威をもって語り、勧め、戒めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。"
テトスへの手紙 2章14~15節

 

今朝、このみことばに励ましを得ました。キリストの伝道者となって5年目を迎え、取り柄なく、無力な自分に気付かされ、説教者としても牧師としても、5月病のような気持ちになっていました。

 

でも今朝、ある先生からいただいた聖書日課を読んでいて、この聖句に心が動かされました。主の伝道者として、「権威をもって語る」というところに。

 

このような者に主の権威が与えられている。しかし、それは主の権威であって、私の権威ではない。

 

しかも、何が大切かというと、この主の権威をもって何を語るかです。

 

それが14節。

「キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられた」

 

これはまさにキリストの福音。真の福音です。福音を正しく語る。福音を正しく生きる。それを私の力とか私の経験とか、私の何かではなく、あくまで主の権威が大切。

 

当たり前のようで、そうではありません。言葉を語る時、つい自分の経験したことを語るものです。

 

それ自体が悪いわけではないのですが、キリストの福音を語るだけでは分かりにくいだろうから、自分の経験を通して、聞く人の文脈に近いかたちで表す中に、福音をまっすぐに語っていない場合があると気付かされたのです。

 

福音は福音としてそのまま真っ直ぐ語らねばなりません。キリストが全ての不法から私たちを贖い出して、良きわざに熱心な神の民とするのです。私のことではなく、キリストの贖いのわざ。それこそ、私たちを変革する神の力なのです。

 

あらためて、このキリストの福音に立ちつつ、そこにある主の権威をもって大胆に語ってまいりたいと思います。