のりさんのブログ

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主が相続地である

"レビ部族にはモーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおり、イスラエルの神、主が彼らへのゆずりである。"
ヨシュア記 13章33節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

今朝のみことばは、第一に、レビ部族には他の十一部族らのように土地が与えられなかったということを伝えています。

 

同じイスラエル民族でありヤコブの子孫でありながら、このような扱いを受け、神の側に不均衡に見える内容が聖書にあると、私たちは、つい神様は不公平ではないかと思ってしまいます。

 

しかし、レビ部族が他の十一部族と同じではないということには、もう一つの面があることも忘れてはなりません。

 

それは、他の十一部族から取り分けられた特別な栄誉に与っているということです。それはスペシャルという意味です。扱いが違うことは、差別しているというよりも区別して、その存在、その働き、立場を認めていると言うことです。

 

だからレビ部族に対する扱いを見る時に、他の箇所ではこうも言っています。

 

"主はまたアロンに言われた。「あなたは彼らの地で相続地を持ってはならない。彼らのうちに何の割り当て地も所有してはならない。イスラエルの子らの中にあって、わたしがあなたへの割り当てであり、あなたへのゆずりである。
さらに、レビ族には、わたしは今、彼らが行う奉仕、会見の天幕での奉仕に報い、イスラエルのうちの十分の一をみな、ゆずりのものとして与える。"
民数記 18章20~21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

ここで、レビ部族は土地を持たないかわりに、土地が与えられている諸部族で生産され神にささげられたものの十分の一がレビ部族に与えられるというものです。

 

それは、神へのささげものであり、神からの分け前とも言える、神の同労者という立場であることを意味しています。

 

それは、彼らは神の幕屋につかえ、神への礼拝のために働く、礼拝奉仕者という特別な働き人であるからです。

 

このことは、現在、クリスチャン全てが祭司と呼ばれ、クリスチャン全員が預言者であり、更にはその中から、主の伝道者として召された者とも通じる価値観と賜物と職務があり、その立場があります。

 

私たちも、目に見える土地だけでなく、この世的な財産も多く持っていません。また、それ自体に価値を求めるものでもありません。では、それで神からの祝福を失っているのかといえば、そうではありません。

 

既に神御自身を得ているからです。そのために神は御子を私たちにくだし、その身を裂いて、神の子という衣を着せてくださいました。それは、神である主御自身が私の、そして、あなたのゆずりの地となったということです。

 

そして、そこに主の者とされた証しとして、聖霊が与えられ、私たちが正真正銘の神御自身と一つとされたことが確定されたのです。

 

今日もその恵みを覚えつつ、主を崇めてまいりましょう。神の国は目に見えるところにではなく、肉眼で見えないところにあります。なぜならば、それはパウロが言っている通りだからです。

 

"私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。"
コリント人への手紙 第二 4章18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会