のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

主を待ち望むことこそ我が力

王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。


軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。


見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。


彼らのたましいを死から救い出し飢饉のときにも彼らを生かし続けるために。


私たちのたましいは主を待ち望む。主は私たちの助け私たちの盾。


まことに私たちの心は主を喜び私たちは聖なる御名に拠り頼む。


主よあなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望むときに。


詩篇 33篇16~22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 軍馬とは、人間が誇り頼りにする目に見える力の象徴です。もちろん、文字通りの軍隊や武器への言及でもあるでしょう。

 強大な軍事力を背景に、かつて古代ローマ帝国は世界の覇者となりました。アメリカ合衆国も強い軍隊を持って世界の警察と豪語していました。

 日本も鎖国から開国へと明治維新へ向かって、強い軍隊を持つ国になろうと躍起になりました。富国強兵です。その大日本帝国の軍隊として、日清、日露、第一次世界大戦に勝利し、負けなしの歩みに、益々、その取り組みが間違いでなかったと思い、太平洋戦争へと突き進みます。その頃には、もうその軍隊を止められる政治家はいませんでした。

 軍人自らが首相となり、誇らしい軍隊、負けない軍隊神話により、どんどん若者が戦地へと送り込まれ、精神論中心の作戦で、最後には神風が吹くという蒙古襲来以来の神話的勝利を自らの手で起こさねばならなくなり、戦闘機ごと敵に突っ込む、潜水艦ごと突っ込むという、無謀な作戦で、若者には名誉の死だと洗脳して、死なせたのです。

 

 おごれる者久しからず。結局、その誇る軍隊も国力の貧しさに勝てず、 補給のない軍隊は死に体となり、ほぼ餓死者の群れとなり散っていくしかなかったのです。

 軍馬も勝利の頼みにはならない。まさに強い軍隊を目指したことで、国内で働く若い力を国自らが戦地へ送って、生産者がいなくなっていきました。若者たちは敵に殺されたのではない。国に殺されたのです。

 これは軍隊だけの話ではありません。目に見える力は、魅力的に映り、それがあれば万力に勝ると勘違いさせるのです。その力とは、貨幣経済であったり、名誉だったり、益々神なき価値観に突進します。

 しかし、神を信じ、神を待ち望む者こそ祝福があると聖書は言います。それは、目に見えないお方こそ、真の魅力であり、私たちが依り頼むべき真の力、王であるからです。このお方のために生き、このお方が愛する者のために生きることこそ、神につくられた人間として選ぶべき幸いなのです。

 

"すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。"
コリント人への手紙 第二 4章15~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会