昨日2019年4月28日(日)は礼拝後に新会堂建築起工式を行いました。
私は昨年から牧師として歩ませていただいていますが、いつも初めてのことばかりで、その都度頭の中で、これまでの経験してきた先輩牧師たちの様子をイメージしながら聖餐式や墓前礼拝などを行ってきました。
そして今回は「初めてのおつかい」ではなく、「初めての起工式の司式」です。
だいたい、私はそもそも人前に出ることが特に苦手なタイプなので、こういう役目はめちゃめっちゃ緊張します。
でも、不思議と神学生の三年間と牧師になってからの一年というのは、とても大切ですね。
多少の緊張はあっても、もう神様にお任せするしかないという意味での大胆さが身についてきていて、緊張の中にも楽しむとか、喜びを感じるのです。
昨日の起工式も建築業者のEさんが来られて、私もピリッとした気持ちで臨むことができました。外部の方が多いというのは牧師にとって喜びだなと感じます。
そもそも、牧師になるというのは、その前に福音を伝えたい。イエス様を伝えたいという伝道者としての思いがまず先にあるので、クリスチャン以外の方が教会へ来られるというのが嬉しくてたまらないものだなと思うのです。
どんなかたちであれ、多くの人にまず教会に足を一歩踏み入れていただいて、そこに関係づくりが始まります。
教会は互いにその人を建てあげ合う集まりです。そこに自分も含めて多くの人に来ていただき、建てあげ合うのです。
そのために聖書があり、その聖書の中心であるイエス・キリストがおられる。このお方に繋がるときに、そこに神との平和が生まれ、人々との平和が建てあげられるのです。
この起工式も、間違いなく新会堂の建築起工式ですが、合わせて私たちという建物も新しくされなければならない。そう思うのです。
外側ばかりきれいに新しくしても、その中身が腐っていては意味がありません。
ぜひ、これから始まる建設工事と同時に私もそして、キリストのからだなる教会の一員としてもキリストを土台にして建てあげられたいと思います。
"ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」"
マタイの福音書 7章24~27節