のりさんのブログ

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息子との別れ〜私よりも先に…

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1月8日(金)13時半過ぎに、警察から電話があった。

 

それは私の次男死亡の知らせだった。警察官の話によると、本日の昼頃に、息子と親しくしている同じアパートの隣人が、最近次男の気配がしないことを心配して訪ねたら、部屋の入り口付近でうつ伏せに倒れていたとのこと。すぐに救急車を呼ぶも、既に心肺停止だったため、救急から警察の対応になり、まずは私に一報が来たということ。

 

まずは、一般的な検死をして死因を調べるとのことで、北大病院へ遺体を一度運び、その後警察署に戻るので、そのときにまた連絡をくれて、遺体の本人確認をしたいという話だった。

 

夕方に警察から電話があった。私は妻と、私の出身教会であり、次男の所属教会でもある教会の牧師とともに警察へ向かった。着くと狭い取調室へ通され、そこで基本的な事情聴取、息子の経歴等を聞かれた。そこそこ話が終わった頃に、遺体安置室へと向かった。

 

そこは、一度外に出て、外から回らないと入られない一枚ドアの狭い部屋だった。外気の寒さで遺体の腐敗が免れていると思われるほど寒い、2、3畳ほどの小さな部屋。そこに遺体があった。担当刑事が遺体の顔にかかっている布を取り「ご確認ください」と言った。

 

間違いない。間違いなく息子の顔だった。その光景は一生忘れないと思う。部屋で、うつ伏せに倒れていたので、顔は真紫で、痛々しかった。冷たくなって、頭を撫でても、顔をさすっても起きない。まさしく息子は死んだのだ。

 

まだ、その死が事故なのか、事件なのかは不明だ。今、必死に警察が調べてくれている。

 

それにしても、息子が死ぬということが、これほど悲しいとは…。

わかっていても気を抜くと黙っていても涙が込み上げてくる。

 

今まで色々あった息子だったが、やはり、いつまでも私の可愛い子なのだ。

 

ただ、彼が幼いときに主イエスを信じ告白し洗礼を受けていたことは、親としては何よりである。途中、教会から離れていたが、所属教会の牧師が足繁く訪ねてくださり、息子は信仰を回復した。回復したというよりも、新生したのだと思う。

 

それからは彼自身の口から信仰の話が出るほど、息子は新しく変えられた。病気を患っていたが、今年から社会復帰すると意気込み喜んでいた矢先だっただけに、この死がどんな状況で起きたのか、非常に気になるところではあるが。

 

この別れは悲しすぎるが、彼は、私たち地上の旅人であるキリスト者が日頃憧れている天の御国に先に行き、そこで主とお会いしている。天に希望のある人生において、彼は私よりも先に、その祝福に預かっている。

 

ずっとがんばってきた彼だから、今は私よりも先に目の涙をイエス様に拭っていただいているに違いない。そこで、私が逝くまで、ゆっくり休んでいてくれ。父さんもいずれ、あとで行くので。また会おう。

 

だから私も主だけを仰ぎ、その天の希望のゆえに、今与えられている務めを果たしていきたいと思う。

 

"しかし今、あの子は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。私があの子のところに行くことはあっても、あの子は私のところに戻っては来ない。」"
サムエル記 第二 12章23節