のりさんのブログ

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あなたは今、喜び踊っているか

"あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。


あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。"
ペテロの手紙 第一 1章8~9節

「あなたは今、喜び踊っているか?」そんな質問を以前されたことがあります。もちろんだと言いかけましたが、同時に、「本当にそうか?」とも思いました。

 しかしペテロは、たましいの救いを得ている証拠として、この喜び踊っている現実があることを告げているのです。

 イエス様を信じていても、心が沈むことがあります。喜んでいても一時的で、踊ってはいない自分を見た時に、私は果たして救われているのだろうかと不安になるのです。

 

 ところが、このペテロの言葉は決してクリスチャンである私たちががっかりするために語られたのではありません。むしろ、この世にあって経験する多くの試練の中にあっても信仰を奮い立たせて、勇気を持って歩むことを勧めているのです。

 このみことばを語る前に、ペテロはこうも言っています。

 

"そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、
試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。"
ペテロの手紙 第一 1章6~7節


 

 やはり試練の中に置かれているときは、悲しまなければならないと言っています。それが現実だからです。しかし、今、悲しみの中にあっていても、もう一つ変わらない現実があるのだ。それが、私たちが受けている救いなのだ。その救いとは、今、私たちが一見悲しんでいる状況であっても、このうちにある喜びは飛び上がるほどの喜びであり、踊って神を賛美するほどの現実であることを伝えているのです。

 恐らくペテロは、この言葉を語りながら、ペテロが出会った、あの男性のことを思い出していたと思います。

 今日は、その彼のことをあらためて振り返りながら、主を信じて歩むことの素晴らしさを味わい、私たちもその喜びをもって明日の主の日に備えて参りましょう。

 

"ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。"
使徒の働き 3章1~10節