のりさんのブログ

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伝道者たちの罪、咎

"あわれみ深い女たちが、自分の手で自分の子を煮た。娘である私の民が破滅したとき、それが彼女たちの食物となった。


主は憤りを出し尽くし、燃える怒りを注ぎ出された。主はシオンに火を放ち、火はその礎を焼き尽くした。


地の王たちは信じていなかった。世界に住むすべての者も。仇や敵がエルサレムの門に入って来るとは。


これはその預言者たちの罪、祭司たちの咎のためである。彼らは、その町のただ中で、正しい人たちの血を流した。"
哀歌 4章10~13節

 

今朝は、このみことばに目が留まった。女たちが子どもを煮て食べるほどの恐ろしい患難の様子。

決して飢餓状態が極まっているだけではない。いくら飢餓状態が酷いとは言え、自分の子を鍋で煮て食べるだろうか。他人の子だとしても、それはできないのではないか。

この状態には、恐らく神のかたちに造られた人としての、そのかたちすら失われている状態なのか。

 

もはや、愛のかけらも情のかけらもなく、動物としても最低ラインを超えた状態のような、患難が訪れるという預言。

エレミヤは涙の預言者と言われているが、この預言を涙なくしては語れなかったはず。

 

そして、その患難に追い討ちをかけるようにバビロンがエルサレムに侵攻し、ユダ王国は滅ぼされる。

 

その責任は誰にあるのか。それは預言者であり、また祭司という、主に仕えている者たちにあるという。

 

それは、現代を生きるキリストの伝道者たちにも向けられていると考えることができる。

 

今、ロシアがウクライナを侵攻し、それに対抗するウクライナはヨーロッパ各国、アメリカなどから武器の供与を受け、最新兵器によってロシアの侵攻を阻む。

その間に北朝鮮はミサイルを日本海に向けて、立て続けに発射実験を行なっているし、中国もまた経済力という武器で東南アジアなどの貧しい国に寄り添い、武力によらない侵攻を始めている。

 

こう見ると、武器を使用しないからと言って決して良い訳ではない方法での他国への懐柔政策も恐ろしい。同時にロシアの軍事侵攻に直接的には介入しなくてもウクライナ軍を使って背後から武器を与える態勢にも恐ろしさを覚える。

 

このまま、世界大戦になっていくのか。いやもう始まっているのに気づいていないだけなのか。戦禍の中で、殺される人々があり、悲しみの中に置かれている人々がいる。

 

子どもを煮て食べないかもしれないが、子どもたちがロケット弾の餌食になり、無謀な権力者たちの犠牲になっている現実は、エレミヤの預言した時代と同じではないか。

 

では、その責任は誰にあるのか。それは、私たちキリストの伝道者にあるのではないか。

 

今、この状況下で、私たちは何をしているだろうか。確かに祈ってはいる。しかし、それだけで良いのか。そこに祈りつつ始めていく具体的な行動があるのではないか。

 

そう思わされる。私たちキリスト者。特にみことばを語る使命にある者たちは、このときに預言者として、祭司として、その役割を十二分に発揮しなければならない。

主の預言者、祭司、そして弟子として。この時代に遣わされている神の子どもとして、大胆にみことばを語り、この世に神の国を具体的に表していくべきである。