"諸国の民よ、主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせよ。
「イスラエルを散らした方がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守られる」と。
主はヤコブを贖い出し、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。
彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、主が与える良きものに、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油、羊の子、牛の子に喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。
そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも、ともに楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。
祭司のたましいを髄で潤す。わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。
──主のことば。」"
エレミヤ書 31章10~14節
神による回復は、エデンの園を全ての民族の人々によって味わうことです。
そして、そのエデンの園の回復も、単にもとのエデンの園に戻るのではなく、天地創造のときから既に神が予定していた、その先にある、成熟し完成した神の国という祝福の園です。
そのとき、若い女も男も年老いた者も、年齢も問わず、神の国の豊かさが表されています。
この素晴らしい様子は、現在でもその前味を味わえるのではないでしょうか。それは神が与えてくださった奥義である「教会」においてです。
教会こそ、新しい神の国の雛形であり、その完成に向けて、この世において置かれたモデルルームのようなものです。
普通のモデルルームには、完成予定のマンションなどの部屋が再現されているだけですが、教会というモデルルームは、住む人をも配置され、その生活をもっても、来会する方々にその魅力を伝え、そこに暮らしたいと願うように生きるのです。
ですから、私たちの教会にも多くの民族があり、多くの年齢の方々もおられます。
あらためて、この祝福に既に与っている恵みに感謝し、益々、キリスト教会として成熟を目指し、キリストの御姿へと変えられることを切に求めてまいりたいと思います。
それが思うだけではなく、心から意識して、信仰をもって歩み出すことが大切です。そこには、当然、信仰の創始者であり完成者であるキリストを仰ぎ続けることを忘れてはいけません。
そのお姿こそ、私たちの模範であり、同時に神の愛ときよさの表れでもあります。なぜ、キリストが弟子たちに傷ついたお姿で現れたのか、なぜ、その傷をトマスに示されたのか。
それは私たちが信じない者にならないで、信じる者になるためです。
私たちも、あらためてからだをもってよみがえられた主イエスにお会いしたいと思います。そして、新しい神の国における祝福の姿を味わい、この世に証ししてまいりましょう。