のりさんのブログ

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安倍元首相暗殺と言論の自由

昨日、白昼堂々と安倍元首相が手製の銃で撃たれて亡くなりました。大変痛ましい出来事に言葉を失います。ご家族に神の慰めがあるよう祈ります。

 

このように、政治家が暴力によって命が奪われる出来事によって、様々な報道がされて、その全てが果たして良いものなのか、整理する必要があると思いました。

 

以前、札幌で安倍元首相が演説しているときに、若い男女が、安倍氏への反対コールをした際、北海道警察の警察官に排除されるという事件がありました。結果的に彼らに対する警察の行動は裁判では、行きすぎたものであったことが指摘されました。

 

しかし昨日の安倍氏への蛮行によって、その安倍氏への反対コールが、そのような暴力と結び付けられて、政治家に対する反対コールも抑制すべきだと言うところまで発展していることに危惧を覚えます。

 

政治家は批判されてなんぼであり、野次は当たり前です。確かに言論の自由という名の下に、何でもありでは困るのですが、実際の暴力と言論の自由との違いは明確です。

 

政治批判は暴力ではありません。むしろ、政治批判は権力を与えられた為政者たちが思い上がらず、常に自らを律していくための肥やしにしなければならないのです。そこを履き違えて、政治批判を公に行うことすら暴力と同一視して、そこを取り締まるようになると、専制国家と化してしまうのではないでしょうか。そのことが先ず一つ目の危惧として感じたことです。

 

あと、もう一つのことは安倍氏への蛮行に対する表現の中に、民主主義への冒涜というような報道があったことです。それ自体は間違いではありません。しかし、その報道はそのまま安倍氏にも当てはまるということです。

 

彼の首相在任中に発覚した森友、加計問題は、未だ解決しておらず、その疑惑は払拭されていません。安倍氏のみならず、その問題における重要人物である昭恵夫人も無言のまま、そのあとの首相たちも、その問題には触れず、本来起訴すべき検察すら、過去のこととして本気で扱わない。自殺に追い込まれた役人の妻は未だにはっきりしようとしない安倍氏含め関係者や関係部署、その責任ある立場の人たちに悲しみ続けています。

 

それこそ、民主主義を冒涜しているのではないかと思います。安倍氏が暴力で亡くなったことは大変残念なことであり、遺憾なことです。しかし森友加計問題で命を断つところまで追い込まれ、亡くなった方がおられ、その家族が苦しんでいることも大変残念であり無念です。むしろ、権力者の下で未だ解明されずに放置されていることに悲しみを覚えます。

 

ですから、このときこそ、これまで隠されてきたことを明らかにすべきではないかと思います。政治責任や刑事責任が問われる安倍氏自身はもういないのだから、逮捕されることも失脚することもありません。

 

これまでの安倍氏の功績は認めつつ、良いこともして来たことも認めながら、しかし、神格化させないで、権力が国民を悲しませたままにしないで、民主主義国家として毅然とした対応をしていただきたいと願います。

 

あらためて安倍氏が亡くなったことに哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の方々へのお悔やみを申し上げ、私の意見を述べさせていただきました。