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宗教改革の暁星 ジョン・ウィクリフ

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 ジョン・ウィクリフ(1329頃~1384)は、1329年頃にイギリスのヨークシャーに生まれ、オックスフォード大学で学び、その後、牧会の職にありながら長くオックスフォード大学で研究を続け教鞭をとったが、きびしいカトリック批判によって1382年に異端と見なされて破門され大学を追われた。その後、同志とともに「貧しき説教者」という組織をつくり、トラクトを配布して改革思想の普及につとめた。
 彼は聖書のみに至上の権威があり、聖書に適合しないものは教皇の教えといえども否認すべきと説き、修道士の托鉢、聖者崇拝、巡礼など伝統的な教会の習慣を攻撃したばかりでなく、教会の教義に対しても批判的で、化体説を認めず、ただそれはキリストの死を記念するものであると主張したばかりでなく、教会のかしらはキリストであるとして教皇無用を説いた。また信者は聖書を読み、それによってのみ神の道を学ぶべきとし、そのために、それまで聖書がラテン語で書かれていて一般の民衆には読めなかったので、1382年、当時の通俗語である英語に翻訳して出版し、聖書を民衆の信仰生活の基盤とした。彼はまさに「宗教改革の暁星」であった。
 
 ウィクリフは1384年に生涯を閉じたが彼の思想を受け継いだものにロラード派というのがあった。その起源は正確にはわからないが、ウィクリフにならって聖書を重んじ、教皇と聖職者の位階制に反対して個人の信仰を中心に置いたために迫害にあい、なかでも1401年に出た異端禁止令によって弾圧され、15世紀中ごろには衰えたが、その思想はイングランドからスコットランドまで広く影響を及ぼし、後のピューリタンの人々の心の中にもその精神は脈々と流れていたことを忘れてはならない。
 ウィクリフの改革運動がイギリスの社会に広がりつつあった頃、イギリスに留学していたボヘミアの青年たちによって彼の思想が母国にもたらされ、ウィクリフに呼応して立ち上がったのがヤン・フスである。