のりさんのブログ

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弱さのうちに

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"ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。"
コリント人への手紙 第二 12章10節

 私たちは、神なしに生きる時、自分を大きくして、強がっていなければ生きていけません。この地上は、神を必要とせず、自分を信じて生きる世界であり、自分の中に強さをつくり、他を押しのけて、勝ち上がって安心したいものです。

 

スポーツの世界であれば、それで良いかも知れません。スポーツとはそのように楽しむものだからです。しかし、競技と人の営みは似て非なるものです。

 

争い、戦いとは、ゲームの中においてのみ認められるものであるからです。この世界で、弱肉強食がまかり通っているなら、やはり、それは、エデンの園における人間の堕落からもたらされた荒廃であると言わざるを得ません。

 

人はたった一つの神のことばに従えず、それに支配されるよりも、自分の思いで生きることを選び、それゆえ「地は呪われた」のです。

 

しかし、この呪われた地にあっても、もし、そこで強がるよりも、むしろ、神なしには生きていけない。自分の力だけで強くなっていくことに空しさを覚えるならば幸いです。

 

なぜなら、その時こそ、あなたは強いからです。人の強さは神と繋がる時にもたらされます。それは、自分を空っぽにして、そこに神の力が満たされるからです。

 

私たちがそのように、自分自身が弱い者、足りない者、小さい者、貧しい者であることを知らされ、認めていくとき、人生は変わります。

 

神はそのために、御子キリストをこの地上に送ってくださり、十字架の死と復活を通して、その究極の弱さと究極の強さを私たちに示してくださいました。

 

キリストは、ご自分が持っている神の力を封印し、仕える者の姿で、貧しいお姿で来られ、最後まで父なる神にのみ従うことをまっとうされたのです。人々から罵られ、弟子たちからも裏切られ、それでも抵抗せず、その弱さに生きることを忍ばれたのです。

 

そして、罪がないにもかかわらず死刑に定められ、それでも神を呪うことをせず、忠実に神に信頼して、そのいのちをも捧げられたのです。

 

しかし、父なる神は、その完全な弱さに生き抜いたイエスを、そのままにせず、死からよみがえらせて、同じように神を信じ、イエスを信じてキリストの弱さに生きる者たちをも生まれ変わらせる道をおつくりになったのです。

 

ぜひ、あなたもこのキリストのゆえに、弱さのうちにおられる神の力を期待して待ち望みましょう。そのために必要なのは、そのように、キリストの道を備えてくださった神の愛を受け入れ、信じて歩む生き方を選び取ることです。

 

そのことを信仰と言います。

あなたの一日が、人生が神の勝利に満ちたものとなりますよう祈っております。