本日で冬の牧師休暇が終わります。
休暇最後の日として、私は趣味である裁判の傍聴に参りました。
今日、傍聴したのは札幌地方裁判所の806号法廷で午前10時から行われた「窃盗と強盗致傷」に問われた暴力団組長の裁判員裁判の初公判でした。
時間少し前に被告人Kが黒い艶消しの手錠がはめられた手にロープも巻かれ、その同じ一本のロープで腰にも巻かれて、二人の大柄の刑務官に連れてこられました。
時間になると3名の裁判官と8名の裁判員が入廷し、いつものように傍聴人も含めて全員で起立して礼。間も無く裁判長の一声で裁判が始まりました。
まずは検察官により起訴内容が読まれました。
内容としては、被告人Kが3人の暴力団員と共謀して、未成年者を含む3人の男を使って、えりも町にある水産会社に金品を盗むために不法侵入させて、結果的に、被害者の男性に怪我を負わせたというものです。
検察官の論点としては、被告人Kが実行犯と同じ罪に問われることをしたことの立証にあるとのことでした。
一方、弁護側の冒頭陳述では、被告人Kは窃盗の指示はしたが強盗の指示はしておらず、強盗は実行犯たちのやったことだという内容でした。
果たして被告人の主張が事実なのか、検察官が言ったように、Kが実行犯に強盗まで指示してやらせたことなのか。それがこれからの裁判の大事な部分なのです。
この初公判は何と夕方までかかるスケジュール内容だったので、途中の休憩で帰って来ました。
裁判は、人が人を裁くという厳粛な場面です。本来なら人間は全てが罪人ですから、裁く側も人を裁くほど義人ではありません。しかし、国の司法として国で決められたルールを犯したものについては、人が人を裁くというよりも、国という権限のもとに許された権力の行使であると言えます。
聖書でもノアの洪水のあとに、人は血を流せばいのちを要求されるようになったことが言われています。これは、人が人に対して復讐をすることを認めているのではなく、国家が形成されたときに、その国という集団に、この地上に悪がはびこらないために神から与えられた行為なのです。
その厳粛さを今日も見ることができ、その中にある罪の深さと恐ろしさもまた味わうのです。
皆さんも是非、裁判の傍聴に行ってみませんか。
おすすめいたします。