のりさんのブログ

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教皇権の動揺


  神秘主義の教えは、信仰における個人的な経験を重んじ、きわめて主体性をもっていたところから、カトリック教皇公認の信条に無批判に服従させることによって個人の信仰を律することに反発し、次第に教皇至上主義に疑問を抱く風潮が起こり、教皇の権威が足もとから揺らぎ始めた。
 教皇権の動揺の発端は具体的には「アナーニ事件」に見られた。1303年のことであった。フランス王フィリップ4世(在位1285~1314)が財政の窮乏を救うために教会に課税したことに対し、教皇ボニファティウス8世(在位1249~1303)が反対したが、王は議会の支持のもとに敢然と立ち向かい、教皇をその故郷アナーニに捕えてローマに連行したが、屈辱から乱心し間もなく死んだ。ここに教皇権は衰退の運命をたどることになった。
 フィリップ4世は1309年、南フランスのアヴィニョン教皇庁を移転し、クレメンス5世(在位1304~1314)を最初のアヴィニョン教皇として、それから1377年まで約70年のあいだに7代の教皇をフランス国王の実権の下に掌握し意のままに操ったため教皇権はまったく有名無実なものとなってしまった。1378年再びローマに教皇は建てられたが、これに対抗してアヴィニョンにも教皇が立てられ、相互に正統性を主張して1417年まで争われた。いわゆる「教会分裂(シスマ)」の時代である。