のりさんのブログ

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日本教会史 第五回目

本日は北海道聖書学院の「日本教会史」授業の日です。

昨晩から大雪なのはわかっていたので、早めに起床。まずは車庫前を雪かきして、渋滞を避けるため、いつもよりも30分早めに出勤。

すると意外と空いていて10分くらいで学院に到着しました。授業開始まで少し時間があったので、レジュメに目を通しながら本日のテーマである
「第6章 伝道不振の時代1891〜1900年」を思い巡らすことができました。

明治維新後、キリスト教宣教は、禁教高札撤廃や明治政府の擁護があって、欧化主義も追い風となり、活発になりました。

ところが欧化政策によって近代国家を目指した明治政府も、ヨーロッパのような近代化とは異なる体制に変貌していきます。

それは、明治政府が求めていたのは、欧米で培われてきた近代化の精神的土台にあったキリスト教ではなく、独自の精神的拠り所となる信仰をつくり、思想の統一を確立することだったからです。それは大日本帝国憲法に記載されたように天皇を神とする国家体制のことです。

ここに、キリスト教が禁教撤廃で盛り上がっていた中でストレスをためていた国粋主義者たちの反動も相まって、皇国日本体制が一層勢いづき、キリスト教会にとってはまたも逆風の中に置かれることになって行ったのでした。

そこに自由主義神学がもたらされます。もともと、長老派、組合派、メソジスト派等、多くの教派によって宣教されましたが、基本的に聖書主義であり、福音においては一致していました。

しかし、教理教育がきちんとなされていなかったために、自由主義神学の勢いに押され、かつて日本基督公会として一致していたはずの日本のキリスト教界に益々暗雲がたちこめるのです。

聖書観、イエスに対する認識の相違。そこに大きな風穴が開き、日本のキリスト教会は国家体制による外側からの攻撃だけでなく、内側からも傷つき崩れることになります。

このあと伝道不振と言われる中でも教派を超えた「20世紀大挙伝道」が行われますが、その教派を超えた宣教の取り組みも虚しく1890年に流入したその自由主義神学のために、福音の一致は過去のものとなっていくのです。そこに植村対海老名「神学論争」が起こります。

次回は「第6章 明治末期の教会1900〜1912年」を学びます。