のりさんのブログ

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贖いの必要

私は以前、電話工事の仕事をしていました。私が就職した頃は、NTTではなく、まだ電電公社の時代でしたので、どの家も当時8万円くらいの加入権を買って、レンタルの電話機を使っていました。

 

電話加入権と言って、それだけで売買できた時代でした。

 

ある時、私は先輩と一緒に、あるご家庭に電話の取り外し工事に伺いました。その家に入ると、お線香の匂いがしていました。どうやら、その家のご主人が亡くなったばかりという感じでした。

 

先輩は電話線を撤去するために外に出ました。私は電話機を取り外すため家の中にいました。そして、私がドライバーで電話機を外そうとしたときです。

 

その家の奥さんが泣きついてきたのです。「電話を外さないでください。それだけは残してください。」

実は電話を取り外す理由は、亡くなったご主人には多額の借金があり、その肩代わりに電話加入権が債権者に取られてしまったということです。

電話局側の私の仕事としては、その電話撤去は裁判所からの強制執行だったのです。

私は心がいたみ、先輩に相談しましたが、工事担当として、それをやめる権限がありません。泣いている、その奥さんを尻目に、外さないでくださいという、声を聞きながら、電話機を外す手がとても重く感じた出来事でした。

 

クリスチャンである私はそのとき、思いました。誰かが、この家の借金を払ってくれたら、この奥さんは泣かずに済むのにと。つまり、贖いが必要だと思ったのです。

 

この奥さんの姿を通して、神様の前に罪という負債を負っている私たち人間のことを教えられました。自分ではもうどうすることもできない。泣くしかできない、悲しい状態。

 

でも、私たちの罪という負債は、イエス・キリストが十字架にかけられて、そのいのちをもって贖ってくださったのです。神の御子キリストが、ご自分のいのちを支払って私たちを買い取ってくださったのです。

 

あなたの人生はいかがでしょうか。神はひとり子をあなたのために遣わしてくださいました。どうか、キリストを心にお迎えください。こころよりおすすめいたします。

 

"すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。"
ローマ人への手紙 3章23~24節