のりさんのブログ

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感染症ウィルス活発な季節

 新型コロナウィルス感染症が、またもや世界で、また日本各地で、そして北海道でも増えています。

 それは、私たち人間が慣れる生き物だからかなと思っています。悪いことも良いことも、長く続くと、慣れてしまい驚かなくなるのです。

 悪いことは、まさにこのコロナウィルスですね。最初はよくわからないし、初めてのことなので、マスクやアルコール類、またはデマに翻弄されてトイレットペーパーすら買い溜めして品薄になるほどの混乱ぶりだったのに、最近の感染増加を見ると、もう感染症が何人でも、もう驚きもしなければ、ニュースで流れても気にもしなくなってきていると思うのです。

 これは、実は由々しき事態で、危険なことに対する緊張感は、ある程度慣れていく中でほぐれることは必要でしょう。そうでないと疲弊し切ってしまいます。でも、警戒は怠らず続けないと、確実に感染者は増えて、また病院は大パニックになることでしょう。

 また、この慣れることは良いことにおいても弊害を呼びます。毎日生かされていること。心臓が止まらず、命が守られていること。食べ物が毎日与えられていること。仕事があること。空気があること。酸素だけでなく、窒素、水素、二酸化炭素などがちょうど良く配合されて大気をつくっていること。オゾン層があって危険な紫外線から守られていること。

 なんだ、そんなの当たり前じゃないかと言う方もおられると思いますが、この当たり前のことがなければ私たちは簡単に死ぬのです。本当は毎日感謝なことの中に生かされているのに、それに慣れてしまい。当たり前だと思う。それが慣れることの弊害なのです。

 神は私たちに、そのような当たり前なるくらい毎日恵みをくださっているにも関わらず、私たち人間は感謝もなく日々自分の力で生きているように錯覚しています。

 でも、それがこのような感染症パニックなど、また大震災が起きるなど、突然の不幸があったときに、神などいないと平気で言ってしまう不遜さ。

 いつもは神を意識せず、感謝もなくても、神様は生かしてくださっているのに、自分で生きていると思っている傲慢さ。でも、何かが起こると急に神のせいにするのは、まさしく私たちがアダムとエバの子孫だという証拠です。

 アダムは、「あなたが私に与えたこの女が」と罪を女と神様になすりつけたように、今もなお私たちは、自分の責任逃れと不信仰の中にいるのです。

 さて、コロナ禍はまだまだ続きそうです。でも間違いなく、この感染症パニックの根元には、私たちの神に対する罪、不遜さ、思い上がり、傲慢があるように思います。

 それがなくならないと、このコロナ禍も、収束したと思っても、また直ぐにぶり返すでしょう。

 これから冬を迎える寒く、空気が乾燥する季節は、コロナに限らず様々なウィルスが活発になります。今一度、日々与えられている多くの神様からの恵みを数えて、日々、神に感謝する者、そして隣人に対しても感謝する者でありたいです。