のりさんのブログ

時々、色々とアップしてます。

新型コロナの荒波再び

●これからのコロナ対策について
 
 現在、新型コロナウィルスの感染者が激増しています。
 この時期は、いつもならばインフルエンザやノロウィルスも流行る時期ですから、同じウィルス感染症である新型コロナも普通のコロナ(いわゆる風邪)も増えることは予測していたことです。しかし、第一波、第二波を超えるような感染者数増加には驚かされます。特にGo to キャンペーンにより人の往来が頻繁になり、札幌市内、特に中心部、繁華街、大型商業施設もコロナ前とさほど変わらないような賑わいを見せていますので、これでは、増えて当然です。
 
 では教会はどうするのか。それは、礼拝そのものが危険な理由ではないことは、皆さんもご承知の通りです。しかし、その集まり方には、工夫が必要です。それで、行政の緊急事態宣言に合わせて、春に会堂での礼拝を家庭礼拝に切り替えてみました。それは、新型コロナウィルスが専門家もよくわからない中で、集まり方の対策も未定の状況であり、マスクだけでなく消毒用アルコールも売っていないほど、社会がパニックになっており、それならば収束を願いつつ社会の一員として足並みを揃える必要があったと判断したからです。
  しかし、現在、消毒用アルコールを設置し、タオルをやめてペーパータオルにしたり、机を事前にアルコールで消毒したり、マスク着用の徹底、講壇へのアクリル板の設置、専用マイク購入によりライブ配信設備の拡充など、具体的に適切な対策を行なって会堂における礼拝を再開して今に至っています。そのような中、使い捨てマスクやアルコールも現在は普通に購入できるようになりました。
 それで、これまでの取り組みの中で、どこが感染症対策として弱いのかを再度検証して、その部分を改めることで、礼拝は続けられると私は思っています。これには礼拝を続けるための意思と努力が必要です。(もちろん、もしそれができないとかしたくないという方は、ご自宅での礼拝も自由です。)
 
  以下の五点が、コロナ禍にあっても会堂における礼拝を続けるための、今私が思いつくことです。まだあるかも知れませんので、気がついたことがあればお知らせください。
  第一に換気。これは、夏場できていたことで、これから懸念されることです。新礼拝室に設置されている24時間換気を利用しても、窓を開ける換気にはかなわないでしょう。そこで多少の寒さを堪えて礼拝中に数回の換気を行うのは必要だと思います。
  第二に時間。さらに礼拝のプログラムを見直して、特に賛美をもう一つ減らし、歌う讃美歌も2番までにするなどの礼拝時間短縮措置を講ずる。礼拝中の飛沫を減らす意味では有効だと思います。
  第三にライブ配信の活用。特に遠方から公共交通機関で教会へ来られる方にはオンラインでの礼拝をお勧めする。これは、今後、このようなコロナに限らず、色々な意味で遠方から教会へ通いづらい状況が起きてきた時のための備えとしても大切な取り組みだと思います。
  第四にあらためて私たちの現在の対策としてのマスク着用、手洗い、そして社会的距離をきちんととっているか基本の確認が必要です。最近、少しずつコロナ禍に慣れてきてマスクせずにかなり近くで話をするということが起きているかもしれません。原則的な感染の拡散予防・対策をまず守って礼拝が続けられるよう努力できればと思います。
 第五に、以上のように私たちにできる最善を尽くしたならば、それを主に委ねて礼拝生活を続ける。

 かつて、天然痘やペストが流行した初代教会〜中世教会の歴史の中で、教会内に感染を広めさせたのは、感染予防をせずに(知らずに)集まっていたことでした。それは感染症への知識が不足していたということです。今、私たちが普通に知っている感染症対策の中で最も重要な「手を洗うこと」がわかったのがなんと19世紀になってからです[1]。

 ごく最近まで、どれほど公衆衛生医療が遅れていたかわかります。でも正しかったことは、いつもその時代における弱者に対して、感染を恐れず寄り添っていたことです。それは主の十字架と復活の恵みに立ち、純粋に永遠のいのちへの希望に生きていたということでもあります。ただ、基本的な予防方法を知らなかっただけでした。
 現在、確かに完璧はありませんが基本的な感染症対策を知り、既に主を信じて永遠のいのちをいただいている私たちは、現代における疫病にどのように立ち向かうべきか。それは礼拝を献げ続けるために最善を尽くして感染対策を講じ、あとは主に委ねることだと思います。
 
注[1] 手を洗うことを最初に唱えたのは19世紀ハンガリー人医師センメルヴェイスだった。かつては妊婦が産褥熱で死ぬことが多かった時代、彼は診療従事者たちが、きちんと手洗いをすることで産褥熱を防ぐことができると実証した。今では「公衆衛生の父」と呼ばれて首都ブタペストには銅像が立っているほどであるが、当時の医学界は彼の研究を馬鹿にして「石鹸屋の回し者」とまで言われ医師の職を追われ、ついに精神病院へ幽閉されて、そこでリンチに遭い死亡した。